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生きること 阿刀田 高の言葉 と 林家正蔵の言葉 [歳とること]

                  
               
 《“生きるだけで良いと言う”けれど、たいへんだよね》 

私は度々、友人に愚痴を聞いてもらう。その愚痴が友人にとって迷惑になるかもしれないが、相手のことも考えず一方的に話を聞いてもらう。そして、私が69歳になって、聞いている側はこんなように思っていたのかと考えされた。でもその友も20210525に亡くなった。
それを思うと淋しい。友のいない人生は、生きていくのが苦しい。


                                  
  
「私の履歴書」 阿刀田 高 20180630
「阿刀田さんの記事」

“人は自分自身について語るとき、それは常に自慢話である”と私はこう放言する立場である。卑下したり失敗を語ったり、マイナス面を言う時も、これは裏返しの自慢であることが多い。

昨今は死を意識することも多く「花は散るために咲く」と勝手に箴言を創って座右に置いている。花は散るために咲くからこそ美しい。人も、私たちの営みはすべて死を意識することから中身濃くしてきた。少なくとも文学はそうだ。AI は死ぬことができない。-ざまあみろ- ここにおいて人はAIより優れている。残された余生はこのあたりを考えよう。

 
「こころの玉手箱   落語家 林家 木九扇」日経新聞20190312
八代目 林家正蔵師匠の誠実さが表れ、記憶に残る言葉がある。

「何もしないことは恐ろしい、何かやっていれば毎日生きていけます」


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