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【ひとり旅Ⅸ】 チェコ・スロバキアの旅  [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅸ】プラハ、チェスキークロムロフ、プラチスラヴァ
はじめての中欧、暗いイメージで広場調査のにはなかったが、友人から“世界で一番美しい街がプラハ”と、聞いたからだった。そして、美しい街には、美しい広場があると思った。

《60歳最後のひとり旅Ⅸ》は、中央ボヘミヤの中心都市、“ヨーロッパのヘソ”と呼ばれるプラハを中心に旅をした。プラハからの移動は電車とバス。チェコ、チェコの隣がドイツ、出来ればドイツにも立ち寄り一口ビールでもと思ったが、時間に余裕を持たせた旅ということで中止し、プラハでの滞在を大切にした。仕事の関係はというと、住宅は2月2日に引渡し終了、次のビルの用途変更の仕事がほぼ終わったタイミング。時間に余裕のある旅を計画できた。


『60歳からのひとり旅Ⅸ』
2019.4月4日~4月17日 14日間の旅

        航空券と電車バス 100,000円+20,000円
        宿泊費        110,000円
        その他 食事等  70,000円 合計 300,000円       
中欧は物価も安く、移動の交通費も思った以上に安かった。

〈航空券はHISで手配〉

前回通り、ネット検索し、HIS新宿店に行って予定を決める。プラハの直行便は無く、ポーランド経由でプラハに行く。初めてのポーランドの飛行機会社、LOTポーランド航空を利用。

〈旅行内容〉

4月4日~7日  成田を10時15分発、ポーランド経由でプラハに午後7時15分着。
4月7日~10日 プラハ午前10時に出発して、高速バスでチェスキー・クロムロフ午後1時頃
4月10日~13日 チェスキー・クロム午前7時20分に出発して、バスと電車で午後2時前にスロバキアのプラチスラヴァ着。 
4月13日~16日 プラチスラヴァから電車でプラハ
4月17日  時間通りに  成田に午後2時に到着
 
<目的>

世界一美しい都市に行き、スケッチと広場を探すこと。


イタリア語、スペイン語と全く違う言語、少し殻にこもりがちになった。でも好きな広場は見付かり、そしてプラハのカレル橋とチェスキークルムロフの街のスケッチは楽しく、それが今回の収穫の旅だった。持参した本は「プラハを歩く/著者 田中充子」
20190402145238のコピー.jpg

「チェコ」 と「スロヴァキア」そして、ちょこっと、ウィーン
 

4月4日 自宅を朝5時25分に出て、成田に行く。プラハからホテルまでの交通費等を考え、チェコのお金コルナを1.2万円分(レート0.57)を両替。成田から午前10時15分発LOTポーランド航空に乗る。機内食も美味しく、それ以外にインスタントラーメンの「OYAKATA」味の素が美味しかった。ポーランドのフレディリック・ショパン国際空港に4月4日午後2時30分に到着。そして、3時間後、プラペラ機でプラハに午後7時30分頃到着、安全飛行操縦だ。
プラペラ機プラハ.jpg
 久しぶりのプロペラ機で、プラハに午後7時過ぎに着いた、もうすぐ日没。

飛行場から100番のバス、車内で切符を買って、バスと地下鉄を利用し、ホテルの近くの駅に行く。目的のホテルには、午後9時過ぎに到着。ここで、前払いだとか言われて、違和感を覚えて、“部屋を見ないと払えない”と話して部屋を見せてもらた。“お湯が出ない”、“電気がつかない”部屋を紹介された。“他の部屋は無い”とか言っていたが、粘って話をして、やっと部屋を変えてもらって一安心。その日はシャワーを浴びて、すぐに寝た。


「初めてのプラハ見学」

プラハ古地図のコピー.png
15世紀のプラハの古地図を見るだけで、旅をしたい気分になる。
14,15世紀、広さは700ヘクタールあり、ローマの次の大都市。

プラハは4つの街区に別れる。西側のプラハ城を中心ににした「フラチャヌイ」と城下町「マラー・ストラナ」、そして東側の商人の街から発展した13世紀の「旧市街」と14世紀に画期的な都市計画をした「新市街」の街区だ。そして、地図で見るように、プラハの街を東西に二分したヴルタヴァ川は、下流のエルベ川にもつながり、ヨーロッパの文化の交流のための重要な川。中央に見える川に掛かるカレル橋は、異なる東と西文化を結ぶ重要な橋。この橋は14世紀後半にカレル4世によって、建設された。

翌日の4月5日、朝3時に起床し7日までのスケジュールを計画。ホテルを日の出前6時に出て、まずはカレル橋を見学した。暗闇に見える、橋の手すりの上に浮き出される彫像に圧倒され、スケッチすることを決めた。そして、8時頃朝食のためにホテルに戻った。ホテルで、次の目的地チェスキー・クロムロフ行きのバス駅を教えてもらい、9時に見学出発した。バス駅まで行ったが、切符売り場、発着所が分かりにくく、ウロウロして居たら、親切な人が道案内をしてくれた。後でお金を要求された。
10日12時発チェスキー・クルムロフ行きのバスの切符購入。
気を取り直しをして、見学に出かける。プラハ城、カレル橋、旧市街地をしっかり散策。プラハと言えば音楽の都、事前に生演奏の場所と時間を確認。午後5時頃ホテルに戻り、着換えて午後6時からの演奏を聴きに行った。

4月6日 今日も朝4時に起きて、5時30分にホテルを出る。路面電車に乗って、朝食7時30分頃までカレル橋周辺を見学する。 昨日見付けたカフェーで朝食、コーヒーを飲む。スケッチ、散策で一日をゆっくり送る。そして、カルルシュテイン城に行く。2か月遅れのBDのためのプラハの最終日、4月13日から3泊するペンションを見付けて、苦労してオーナーと連絡がとれ、スーツケースを預かってもらう約束をした。

4月7日朝3時30分に起床、ホテルを5時30分に出て、カレル橋観光、朝食前に戻り、また見学に出る。そして、最終のペンションにスーツケースを預ける。そして、リュックサックと手提げ袋を持って、バスのターミナル駅に行き、バス乗り場に行った。多くの観光客が待っていた。

「チェスキー・クロムロフ」

チェスキーの絵葉書.jpg

午後0時頃 チェスキー・クロムロフ行きのバスに乗る。車内で、準備をしていたパン、リンゴ、人参を食べ、車窓からの景観を愉しみながら3時間のバス旅行だった。午後3時頃、チェスキー・クロムロフに到着。バス停と旧市街地とが離れているため、迷いながらペンションに辿り着いた。チェックインの時間だが、オーナーはいない。近くの住民にお願いして、連絡をしてもらい、1時間後に、部屋に入ることが出来た。荷物を整理し、直ぐ観光に出た。
4月7日~10日、夜景、スケッチと愉しむことが出来た。落ち着いた街だった。

観光案内所で、次のブラチスラヴァ行く方法を尋ねたが、一度、プラハに戻ってからから目的地に行くのが良かったかもしれない(水曜日11日なら直行便があるとのことだったが)。

「ブラチスラヴァ」

乗換をくり返しながら、目的地スロヴァキアの首都、ブラチスラヴァに10日午後3時頃に到着
4月10日~13日 ブラチスラヴァでは、2日間カミッロ・ジッテ(広場の造形の著者)生まれ故郷、ウインを往復する日々だった。
ブラチスラヴァでは新しい好きな広場、サンジミニャーノの広場のような広場を見付けた。
「最終日 プラハ」

4月13日プラハに戻る途中、チェコのブルノに寄るつもりだったが、「時間に余裕を持たせた行動」という言葉を思い出して、計画を変更。午後4時に最終の観光地プラハに到着。またここでも、ペンションのオーナーと連絡がとるのが、大変だった。廻りの住民4人ぐらいにお世話になり、やっと連絡がとれ、入室が出来た。これもい思い出だ。
最後のアパートの近くの待っている時.jpg
ペンションの近く、オーナーを待ちながら、バールからの景観

今回の旅で一番高いペンション(12,000円/日)、さすがに良い部屋だった。カレル橋にも近く、安く1000円程度で朝食が出来るホテルを紹介してもらった。レートの良い両替所、スーパーの場所など教  えてもらったりで、この最後の三日間を愉しんだ。


帰りの飛行機は4月16日予定より1時間遅れてを出発したが、予定通りに17日の朝10時頃到着。そのまま、事務所に行き2週間分の新聞、連絡をして普段の生活が始まった。




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