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アルベルト・ジャコメッティ 2 [私の読書]

新聞からの切り抜きで
「56年、哲学者・矢内原伊作氏が帰国直前にジャコメッティのモデルを務めることになり、その後4度渡仏して、のべ230日ほどポーズをとり続けた。」

これが気になり、武蔵境の図書館から三冊の本を借りた。
「矢内原伊作 ジャコメッティ」

「アルバム∥ジャコメッティ」
「見る人」ジャコメッティと矢内原 宇佐見英治著


彼の作品は、イギリスのオークションで有名なサザビーズ・ロンドンで、2010年に『歩く男』1947年作、177.5cmのものが、91億円で売買された。

哲学者・矢内原伊作氏が、アルベルト・ジャコメッティのモデルになったか、その理由が「アルバム∥ジャコメッティ」の中に、武田昭彦氏の解説文に書かれていた。

矢内原伊作氏は、1954年~1956年パリに留学した。“ジャコメッティは前から会いたいと思っていた芸術家の一人だった。しかし有名人を用もないのに訪れてゆくことを僕は好まない” “十月末のある午後、、一つの画廊のガラス戸越しに、‥ジャコメッティの一枚の絵があるのが眼にとまった。‥画廊を通じて、手紙を送る。1週間ほどして、ジャコメッティから返事”その後、何度か会う。“10月4日、世話になったジャコメッティに帰国前の挨拶にとアトリエを訪ねる。そのとき、「うまく行くかどうかわからないが、明後日夕食に行く前に1時間くらい君の顔のデッサンをしよう」と言う。
10月6日、ジャコメッティは、はじめて矢内原をデッサンする。最初の一枚は30分で出来上がる。ジャコメッティは「美しい、すごい、すばらしい」などと嘆声を上げ、「こんな風にデッサンするのははじめてだ、どうしていいか分からない、しかし何とかなるだろう。もう1枚やってみようと」と言う。”この描写は、矢内原氏が書いた【矢内原伊作 ジャコメッティ】を読んでほしい。芸術家ジャコメッティと矢内原氏との苦闘が、生のような描写が読み取れる。

矢内原と同年の友人宇佐見英治著  『見る人』から、気になったこと。

1:“ジャコメッティは芸術家として、格別賢明な人であった。「それは論理的でない」というのが彼の口癖であった。見えるものを見える通りに描くことに生涯を傾けたこの画家にとっては、芸術はそれ自身が目的でなく、見るための手段であり、見ることは生きること、より深く見ることは、より自由により強く生きることであった。”

2:“私は彼の風貌がだんだん写真でみるジャコメッティの風貌に似てくるのを感じた。‥私はジャコメッティにそのことを話した、彫刻家はいった。「きみもそう思うかね。私も矢内原と私は似てきたと思う。しかし、それは不思議なことではなく当然ではなかろうか。毎日、見たり見られたりしているのだから、‥」

そうだよね。夫婦は本当に似てくる~
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