彫刻の庭ギャラリー 狭山 彫刻家水村昭 [建物と街散歩]
『屋外彫刻の庭』狭山市祇園
川越の中学生の時、シスレーの風景画(Alfred Sisley, 1839年 - 1899年、フランス生まれのイギリス人の画家)との出会いが彼の人生を決めたようだ。私がオルセー美術館で見た、シスレーの描写はモネのような典型的な印象派の点・線の描写だったと記憶する。水村氏の好きな絵は知らないが、シスレーの作品は分かりやすい日本人好みの描写だ。ゴッホの「糸杉」ような力強いこんな絵を想像したと思う。
苦学をして、東京芸大彫刻科を卒業した水村昭一氏(1932年~2022年)、自分が満足する彫刻家にはなれなかった。広い庭に点在する石造彫刻、金属の造形など制作しながら、90歳まで生き続けた彫刻家 水村昭氏。
奥さんから話を聞いた。10人弟妹の長男として生まれた。彫刻家として生きたかったが、早くに弟達が他界し、父親から農家を継ぐように言われ、十二分に彫ることはできなかった。その陰で奥様は苦労したようだ。話を聞いて作品を見ると、違った感情で見てしまう。中途半端と思われる作品が多くさぞ辛かっただろと思った。
ここから狭山市の駅が見える。
庭には、彫刻が点在している。狭山市が展示に協力すれば良いのだが
近くに野良猫が3匹、以前は10匹いたとか、今も餌をやりに来る人がいて、
その時間になると集まってくるそうだ。猫達のねぐらは水村さん宅の床下らしい。
住まいのアプローチにも置かれている。
他界する前に展示場を造る計画はしていた。水村氏が描いた図面があるとのこと。
妹たちの彫刻だろうか
奥様とのこと
吉村順三と谷口吉生 [建物と街散歩]
私の好きな建築家は、作品、人間味として6人です。村野藤吾 槇文彦 吉村順三 坂倉準三 浦辺鎮太郎 坂茂 です。他の建築家は、素直に好きになれない。理解できないというか、作品によって好きだったり、嫌いになったりする。
この建物を見て、7人目に谷口吉生氏を加えようと思い、彼の作品を見ていくと、外観美は感じるが、有機美(建物の真、身体になったときの美しさ)がないのでだめだ。
『FORUM BUILDING 』
左のビルは1969年、吉村順三が設計した青山タワービル
40年という隔たりを感じさせない、二つの建物が共に新しく美しい。
足元、1階、2階のデザイン(左側の写真)から、桂離宮を思い描けないだろうか?
アーケード、真壁、2間の3.6m×3.6m、障子の桟、削いだ40cm角の柱、無彩色。日本の建築として生れた建物だ。
この建物を見て、7人目に谷口吉生氏を加えようと思い、彼の作品を見ていくと、外観美は感じるが、有機美(建物の真、身体になったときの美しさ)がないのでだめだ。
『FORUM BUILDING 』
左のビルは1969年、吉村順三が設計した青山タワービル
40年という隔たりを感じさせない、二つの建物が共に新しく美しい。
足元、1階、2階のデザイン(左側の写真)から、桂離宮を思い描けないだろうか?
アーケード、真壁、2間の3.6m×3.6m、障子の桟、削いだ40cm角の柱、無彩色。日本の建築として生れた建物だ。
谷口さんの思想も素晴らしいが、構造設計者の技量(さぞ設計料が高いだろうなー)には目を見張る。
「ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-10414110382.html 」のブログより
柱の足元を見ても柱脚部、柱頭部にコーナーを拘束するような部位がないんです。
…「まさかこの柱で支えられるはずがない」=「一種の軽ろ味というか魔法的な浮遊感」
がありますね。このような外壁のシステムをベアリングシャーウォールというのですが、ニューヨークの超高層建築で使われる構造システムですね。
このひとつひとつの柱材をつつむパネルはアルミ生地色でなく白い色味ステンレス金属反射系のシルバー着色を施されている。
この高さまで柱の面材が一枚にしてあり高さ方向での継ぎ目がありません。そのため完全角柱に見えます。
軽井沢千住博美術館 反転空間 [建物と街散歩]
建物見学
「ドライブ当日20130504」
家を午前5時20分に愛車のBMに乗って出発、スムーズにナビの通りに午前7時、碓氷軽井沢インターに着いた。2時間近くを安井さんの設計したカフェ(ブランジェ浅野屋)で朝食をとりながら時間をつぶした。隣の人からこのパン屋さんは、東京に支店を出店し、美味しいことで有名だということを知った。
『軽井沢千住博美術館』
建築家西沢立衛設計事務所 安井秀夫アトリエ(ショップ・カフェ棟)www.senju-museum.jp「ドライブ当日20130504」
家を午前5時20分に愛車のBMに乗って出発、スムーズにナビの通りに午前7時、碓氷軽井沢インターに着いた。2時間近くを安井さんの設計したカフェ(ブランジェ浅野屋)で朝食をとりながら時間をつぶした。隣の人からこのパン屋さんは、東京に支店を出店し、美味しいことで有名だということを知った。
食べかけだけど、記念と思い、1200円
軽井沢 小さな森の家 吉村順三 [建物と街散歩]
吉村順三の別荘『小さな森の家』
吉村順三の別荘『小さな森の家』の近くには、小川が流れている。小川のそばには室生犀星の碑がある。ここでゆっくりしてから、別荘を見学する。吉村順三が他界してから、今日が3回目だろうか(201309)
久しぶりに吉村順三の別荘を見に行った。気持ちが落ち着くというのか、いつ見ても良い。 残念ながら、丸山工務店の管理地になっていた。
木々の間から漏れる日射し、ゆっくりと別荘に近づく
左側の路は駐車場に、下車して玄関に向かう
駐車場と人のアプローチとは段差がある。
見上げる、大きく見える
ベンチに座って見える景色
言葉、会話のいらない場所、世界
吉村順三氏の言葉
1997年4月10日89才没
敷地の持っている雰囲気、それがまず一点。
全体がどういうものかってことをよくみるわけだよね。
そうして、今度は陽の光と風通しと、そういうものを見る。
それから周囲の道の取り付き方やなんか、その関係をみる。
そうすると、また自然に形が出てくる。
(1990)JA59 吉村順三:新建築社
パリの広場とパン [建物と街散歩]
【サン・カテリーヌ広場】
フランスパンの似合う広場
パリの一日
リヴォリ通り沿いにある、美味しいパン屋「ミス・マノン(Miss Manon」がある。いつ行っても、行列のお店。
朝6時30分に開店,店に入る。笑顔の似合う小柄でふっくらした、おばさんが一人働いていた。7時近くになって2人の若い女の子が来た。7時30分頃、街並にやっと薄明かりが差す。コーヒーを飲み、今日の一日のスケジュールをたてる。そして、長いフランスパン、バゲットを買って、【サン・カテリーヌ広場】でパンをかじりながら、実測、スケッチをしながら、ときを過ごす。それから、Vosges公園に行くのが、散策コース。
公園に行く途中に、大きな本屋さん(ここで、孫の本を買った)がある。
立ち寄り、パリの歴史の本をパラパラと見る。そして、公園に行く。
パリに来たなーという感じだ。
【サン・カテリーヌ広場】の調査
Rivoli 通りから30mほど中に入った場所にある静かな広場。
8m程の裏通り広場に入る、正面にリヴォリ通りが見える
サン・カテリーヌ広場は、街路に囲まれた広場、23m×19m。
樹木、緑色のベンチ、街灯、車止め、ゴミ入れがある。
周辺の街路幅、7.7~8mあり、それを含めてもも31m×37mの小さな広場。
周辺の建物の高さは15m。高さと幅の比率は1/2よりも少ない。それだけに広さを感じる。そして、こじんまりとした広さ、圧迫な感じはない。この比率が良いのかなとも思う。
5~8人もベンチに座っているといっぱい。
広場を囲む8mの街路には、簡易のお店奥行き2.7mが場所を占めている。
ランチタイムを利用して、ランチメニューを食べた。
東から光が射すお店が、混んでいる。
広場から裏通りを見る
銀座・伊東屋で神山ますみの個展「巴里の記憶」
2019/2/20(水)~28(木)
能勢氏の誕生日祝いに出席するには、まだ時間があった。久しぶりに銀座に出た。
そして、伊東屋に行った。偶然に私の好きな広場“サン・カテリーヌ広場”の絵画を見つけた。
こんな風にも表現できるのだと、愉しくなった。傍にそれらしい人神山ますみさんに話しかけた。
“この広場で、近くの美味しいパン屋でパン/クロワッサン、バケットを買って食べるが好きでした”
彼女も、この広場が好きとのこと、束の間の会話であったが、一瞬サンカトリーヌ広場に居るようだった。また行きたくなった。
武蔵境駅前の7つのコーヒーショップ [建物と街散歩]
『武蔵境駅前のCoffee Shop』
(2013年,2015年,2023年そして2024年3月)
世界のどこを訪れてもCoffee は、街を知ること、人を観察ための最高の場所だ。世界旅行は楽しい。2000年はチェコ、そして3年ぶりにタイ旅行をした。https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2023-12-08
■
「一日の愉しみは、一杯のコーヒー」
私が50年前、半世紀前か、イタリアに行き、最初のカルチャーショックがエスプレッソコーヒー。気軽に飲み、さっと帰っていく姿には、驚いた。Coffeeには、ひとり、ひとりの人柄、人生が見えるようで、コーヒーショップに居るのは楽しい。
コーヒー効用
大腸がんは男女ともに2番目に多いがんですが、早期の治療により高い確率で完全に治癒するため、早期発見だけでなくがんが治った後の再発予防も重要視されています。コーヒーをよく飲む人は、大腸がんの再発リスクが有意に低くなるとの研究結果が報告されました。
さて武蔵境駅前にある、コーヒーショップの話をしよう。武蔵境駅は学生若者が目立ち、近くに図書館があり、活気ある駅前だ。現在は6から7店舗のコーヒーショップがあり、何処の店も賑わっている。
「駅前の7店舗のCoffee Shop」
駅前には、コーヒーショップが7店舗ある。それだけでもすごい。まず、南側にあるエクセルシオールカフェ 、スタバ、上島珈琲そして、ヨーカ堂の中にあるドトールと北口にあるドトール、ハートブラウン、タリーズの7店舗。
私は武蔵境に建築事務所を持ってから34年になる。今もスタバには、昔は毎日だったが、今は2日に1度のペースで通っている。スタバには、いつもタンブラーを持って行く(20円安くなる)、コーヒーはスモールサイズ。スモールサイズは日本しかない。スタバはワンモア―コーヒのサービスがあるので、二杯飲むと他の店よりも一杯の単価は安くなる。コーヒーはイタリア人の場合は、一日3~5杯飲むから、コーヒーは日常に溶け込んでいるのだろう。日本も何年間後にはそうなるだろう。
「それぞれのCoffee Shopに違った人生を感じる」
どこのCoffee Shopにも、違った人生がある。というのか、階層…性別、年齢、職種、毎日が日曜日の人を含めて、様々な人が出入りしている。最近が仕事の場に利用する人が増えた。各お店のインテリは、以前のような個性がなくなった。
例えば、1999年設立エクセルシオールは、ホテルと併用になっているので、泊り客の利用が目立つ。ドトールは、どうも私には落ち着かない雰囲気、同じ系列会社の上島珈琲は高めだが、ドトールよりは美味しいと思う。椅子はゆったりした感じはしないが、ブースタイプを中心にレイアウト、音楽はジャズが流れて、落ち着いた雰囲気だ。結構利用者が増えた。店によって価格も雰囲気も違う。
そして、スターバックス。アメリカ的な、おおらかな雰囲気が好きだ。
追記 2023年、昨年からだろうか、店長が大柄な女性に変わった。彼女はほとんど店に顔を出さない。まあ彼女の方針だろう。こちらから見るとスタッフの笑顔が少なくなった。年寄り、ハンディのある人に対して気配りも昔ほどよくはない。挨拶も徹底されていない。勉強コーナーは別にしていたが、今は気に留めていないようだ。でもお客は入るので良いのだろうか?
店長も勉強はしているようだが、オープン当時のような雰囲気ではないのが寂しい。
武蔵境には色んなタイプのコーヒーショップが駅前にあるから良い。
シンガポール1999年からの変容 [建物と街散歩]
【世界的な都市/シンガポール】1999年11月22日
はじめてシンガポールを訪問したのは、IMC新橋ビルの設計監理のための研修旅行だった。 当時のIMCの会長FrankTsao氏(2019年享年94歳)に案内してもらった。
サンテックシティー
Googleより/風水を基本構想に左手の5本のビル(指)と幸運を呼び込む水・噴水(手のひら)とを構想したとのことを設計者の会長の息子(TsAO&McKwnの代表)から聞いた。?◆
【発展し続けるシンガポール】
国名シンガポールはサンスクリット語「ライオンの町」。広さは東京23区とほぼ同じ。人口400万人ぐらいの都市国家。インド人、中国人、マレーシア人、アラブ人と様々な人種が混在するが、良い治安と清潔な都市、公用語が英語の国、世界のひとつの貿易都市であることを特に感じた。
気候は1年中暑い。特に、雨の多い時期の11月~2月にかけては、夕方頃にスコール、大雨と強い風が1時間ぐらい続く。この旅行でもすごいスコールを経験した。
都市基盤:大地は国のもの、今もなお都市再開発はすさまじいスピードで展開する。海を計画的に埋め立て、その大地に緑を育てながら長期間放置し、その大地を期限付きで企業に分譲するとのこと。広大な遠大な思想が、シンガポールの基盤にあるようだ。
流通・経済:シンガポールでは食物を農業的に生産することはなく、ほとんど海外からの輸入に頼っている。水、食物から全ての金属・建設資材に及ぶ。一方輸出品目の主なものは、電子機器、医薬品、石油製品、化学品などの知能的加工品。
つまり、水、食物、鉱物などの原材料はすべて輸入。輸入品を製品とし輸出する。
教育・目標・方針:人種、宗教を乗り越え、世界の人を受け入れる包容力と自由な思想を持つ国民性の形成。そのために総合的な教育レベルアップをする。個性・新しいものにも素直に受け入れる広い心のある国柄。福建省(世界的な経済人、華僑の人)の人が多いと聞く。
5本のビルの1本、Tsao氏の所有するビルの屋上から1999年
海上には何隻の船が停泊しているのだろうか?景気の良い時は、海いっぱいにコンテナ船が停泊していたのとこと。絵画で見たベネツィアを思わせる海上都市が想像できる。
河井寛次郎記念館 2013 [建物と街散歩]
陶芸家 河井寛次郎記念館www.kanjiro.jp
一生この地に住み続けた河井寛次郎(1966年享年77歳
)住居・商店が並ぶ閑静な街並みにある木造2階建の記念館/河井寛次郎の工房・住居がある。この建物のプランと配置計画が好きだ。なだらかな敷地の上に建っている。自然・地形を生かせた計画だろうか?
吹抜のある受付・玄関の広い土間から中庭に出る。わずかに傾斜した敷地、一番高い位置に展示室の廊下があり、下には工房がある。住居は玄関の上階、2階のようだ。全体的に落ち着いた雰囲気をかもし出している。来年も訪れようと思った。
1階が玄関・受付、2階が住居
松本見学 安曇野ちひろ美術館 [建物と街散歩]
安曇野ちひろ美術館
安曇野のインターから迷いながら、20分ぐらい掛かっただろうか?
建築家内藤廣氏の安曇野ちひろ美術館を見学した。東京のちひろ美術館も彼の作品だ。
右側から玄関に向かう配置に不自然な感じがするが
何となく配置計画が、連続する切妻(いつもの彼のデザイン)の美しさが呼応しない、
どうしてだろうか?並行でなくちょっとずらすとか、向きを変えるとか必要と思う。
この道がメインアプローチなのだろうか?吉村順三の言葉を思い出す。
敷地の持っている雰囲気、それがまず一点。
全体がどういうものかってことをよくみるわけだよね。
そうして、今度は陽の光と風通しと、そういうものを見る。
それから周囲の道の取り付き方やなんか、その関係をみる。
そうすると、また自然に形が出てくる。
正面玄関
屋根の形がそのまま外部と内部との中間の空間をつくる
そのまま内部空間に変わる(内部も外部も変わらない)、
母屋の形状を丸くしたのは?柔らかい線のため?
整然と並ぶ椅子が不自然な景観をつくっている
背の高くて、足の長い人の椅子です
良い天気だ、もう少しゆっくりしたかったが、帰りのことも心配なので、1時間30分程度の見学だった。目的の松本城に行きたく、そこそこに引き上げた。
有元利夫を昨日はじめてしりました [建物と街散歩]
はじめて、“有元利夫”を知った
画家 有元利夫氏を日経新聞(2013年10月13日)で知った。すごい、私と同世代、同県出身、同じ頃1971、2年にアシッジ、シエナでフレスコ画を見たなど、何か魅かれる。そして、1972年、日本人夫婦(東芸大卒)との出会いも思出した。ジョット、フレスコ画などを勉強するのだと言っていた。1982年ロンド/女性とも男性とも分からない表現
10頭身のように顔を小さく描く、地上の4人は彼の分身
いにしえのヨーロッパを思わせる幻想的な作風で知られる画家の有元利夫(1946~85年)は、大学時代からリコーダーを熱心に学ぶ音楽愛好家だった。著/小川 敦生
「音楽は見るもの、絵は聴くもの」
「フレスコ画に感じ入って開拓した独自の絵肌は、リコーダーの素朴な音色が呼び寄せたのではないでしょうか」と妻で日本画家、陶芸家の容子さんは話す。同期の作曲家の下川英子氏は、有元氏が『バロック音楽を聴いていると、天から花が降ってくるようだ』と言っていたと追悼集の中に書いている。
□画家となるまでの簡単な生い立ち(yk2さんのブログから抜粋 ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2010-07-29 )
有元利夫は1946(昭和21)年09月23日、両親が疎開していた岡山県津山市生まれ、絵を描くのが大好きな少年に育ちます。四浪し、5度目の挑戦でようやく東京芸大デザイン科に入学、大学3年生になる前の春、利夫は1ヶ月近くヨーロッパを旅行し、ポンペイの壁画、フィレンツェではルネッサンスのフレスコ画など、、イタリアで見たフレスコ画をそのまま模倣するのでなく、日本の岩絵の具を使ったアイディアを思いつき、有元利夫ならではの画風を確立して行く。