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井之頭公園 食事会20190331 [友だちとの会]

友だちと井之頭公園 桜満開20190331

今日、3月最後の日、そして日曜日は、最高の花見デーになる予定だったが、寒かった。
花見の前の食事は、12時30分~13時30分までピザ屋「ラ ベファーナ(魔女)」で食事。店の前は、沢山の人が待っていたが、予約していたのでスムーズに店内に入る。お客でいっぱい、予定の場所とは違ったが、静かに食事が出来て愉しかった。それぞれ違うピザを注文してシェアーして食べた。
https://musashinosekkei3.blog.so-net.ne.jp/2011-07-23
69歳の誕生日にこの店に一人で来た。 ショートケーキと写真で祝ってくれた。トイレにその記念写真があった。うれしかった~。

そして

久しぶりに、3人で今年の桜見学のため、井之頭公園に行った。今年も元気に桜を見た。
そして、私達は人を避けるように30分ほど見学。

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橋の上は、人で満開


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69歳になる私と70歳を過ぎた友達


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図書館と健康 義理の父を思う [歳とること]

【健康づくりと図書館通い】

長生きするためには、図書館通いが最高

テニス、ゴルフをやめて、20年。まったくスポーツで身体を動かすことはなくなった。

私の健康づくりは、出来る限りストレスのない仕事をすることと、毎年一度の海外旅行「60歳からのひとり旅」
かもしれない。これも両親に感謝している。

「平均寿命」と「健康寿命」

厚労省が公開した「平成29年簡易生命表」によると
「平均寿命」が男性は「81.09歳」、女性は「87.26歳」
「健康寿命」男性では「72.14歳」、女性は「74.79歳」


「健康寿命」は、自立して、健康で何歳まで生きられるかを示す値。「平均寿命」との年齢差は、男性は9歳、女性は12歳。その間を寝たきりや要介護などの状態で暮らしている年月こと。つまりは、自宅とか病院のベットとか布団の中で生きていくと言うわけだ。嫌だね。私は介護状態になるより、コロッと死にたい。その間をゼロにするには、どうすればいいのだろうか、何をすればゼロにすることが、運動をするべきなのだろうか?結構、スポーツマンも早くなくなっているから、‥‥。

「99歳の義理の父」

義父は、このデーターには全く関係なく、今年99歳、「健康寿命」を27歳も超えている。
一人住まいの義父は、今でも、自分で食事を作り、一人マンション住まいをしている。
ただ、99歳になって急に食事の量が減った。外出することも少なくなった。本当に急なのである。

教鞭にも立った農学博士として、定期的に本を書いていた。父が理想的な生き方、死を迎える最高の生き方かもしれない。義姉とご主人そして、僕たちの合計5人で食事していた時(99歳を迎えて何週間まで)は、色んな事に興味を持ち、会話に参加して、植物・農業の話が出れば、専門用語で話したり、そして、必ずコップ一杯のビールを飲んでいた。それが3月から、一人で食事をしているそうだ。“老いとは急にくる”とは、聞かされてはいたが、本当にそうなのだ。でも、99歳で、杖も使わず一人で歩いていることがすごいと思う。

「ゼロ寿命」

それでは、一般的に「健康寿命」と「平均寿命」の差をゼロにするには、つまり介護されずに自分で生きていくためにはどうすればいいのか?
NHKが独自に開発した人工知能「AIひろし」は、健康寿命を延ばすヒントを探すために、日本全国の65歳以上、のべ41万人の生活習慣や行動に関するアンケートを分析。

   
 【図書館と健康】

全国で一番「健康寿命」が長い(男性1位、女性3位)「山梨県」を調査。実は、なぜ山梨県民の「健康寿命」が長い山梨県は、人口に対する図書館の数が断トツで全国1位なのです。人口10万人に対する図書館の数は全国平均が2.61のところ、山梨県は6.59なのです。

さらに、山梨県は、図書館司書の普及率が全国トップクラスで、戦後早い時期に学校に司書を配置し、子どもの時から読書の習慣を身につけさせているのです。これに対して、運動の実施率は、山梨県は全国最下位だと言います。読書と健康寿命が結びつきました。

・図書館に行って本を探すことが運動になっている

・知的な刺激を受けている

・過去の記憶を呼び覚ますことにつながる

・読書によって心が動き、それが行動につながる


本を読むということは、それだけの活力があって、知的好奇心があるということ


武蔵境駅前の「武蔵野プレイス」

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公園は、朝早くから、子供を連れの家族、年配の人が多い。

中央線武蔵境駅から歩いて2分、これも駅に近いことが理由だろう


休館は、毎週水曜日、朝9時30分~午後8時まで開いている。
開館前から、毎日行列ができる。受験シーズンの時は、若い男女に利用、常連客は高齢者だろう。毎日の新聞とか月間号の雑誌を楽しみにしているようだ。
全国の図書館にも紹介され、建物のデザインは、ユニークかもしれない。私の好きなことは、借りる/返却するシステムが簡単であること。しかし、何といっても武蔵境駅から歩いて2分もかからない。

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開館前から、いつも行列だ


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開館し、席を確保、新着書籍のコーナーに急ぐ



“昔からの本を読むと およそ同じことを言っている

自殺した魂は生きていた時の苦しみどころでないそうだ

本当かどうかわからないけど信用している

私は弱い人間だから自分で命を絶つ事だけはやめようと

生きてきたこんな姿になってもおもしろいじゃない”


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【60歳からのひとり旅Ⅰ】 シドニーの動物園 [60歳からのひとり旅]

はじめてのオーストラリア、友人の娘さんが、シドニーに住んでいることで訪れた。
2011年の愉しいひとり旅Ⅰだった


【TARONGA ZOO】


シドニーの街の対岸にある動物園。船で12分。シドニーオペラハウスを見ながら、また美しい橋を見ながらの一時の船旅かな。
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Taronga ZOO


先ずコアラと挨拶して、動物園の見学がはじまった。

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旅は愉しい1982年から2006年まで [建物と街散歩]

【旅は愉しい】 2019年 3月15日

年号を書き、月日を書き、ここに記載したのは、人生整理、今まで何をしてきたのかと思い,改めて日付が必要と考えた。すべての行動には必ず日付を書いて整理すること。

【私の人生まとめ】

“海外旅行も今年で最後にしてね”、と妻に言われ、今までの海外の旅について考えてみた。
また、自分に「70歳までは生きる」ことを目標にしていたためだろうか?

母は、2010年12月26日に、90歳で亡くなった。私が60歳だった。その時に「死について」考えさせられた。母の死を境に【60歳からのひとり旅】をすることにした。
また、その2年後親友、そして4年後、岡山の友人が他界。昨年もお世話になっていた私より4歳若い人が‥「誰にでも、一度は訪れる死」ということで、人生の計画は大切。
このひとり旅を計画する前にも、色んな人にお世話になりながらの旅をした。

【60歳からのひとり旅】の前にも、ひとり旅をしていないわけではない。
そこで、今までの海外旅行の経緯・経過を考えてみた。そこで、「仕事の旅」と「友人との旅」に分けて考えた。
◆仕事の旅/5回

大学を1973年に卒業後に、イタリアに行く。ヨーロッパ、北アフリカを中心に建築見学・広場調査旅行した。
3年後に帰国して、社会人として働く。1982年に中近東、イラク首都のバクダットの再開発のための現地調査に出かけた。
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バクダット中心街 バス停周辺1982年

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バクダットのモスク中庭1982年

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モスク中庭、一つのブース


その後は、しばらく海外に行くことはなかった。建築設計事務所での設計に追われた。
そして、20年ぶりのイタリアは、仕事の関係で知り合った中尾氏/施主にイタリアのガイドを頼まれたイタリア旅行1996年9月1日~9月9日(46歳)から、はじまった。毎日忙しくて旅行した気分では無かった。でも、久しぶりのイタリアを味わえて良かった。
中尾氏との旅は、成田、ミラノ経由でナポリに行く。カプリ、アマルフィを見学しローマ経由でフィレンツェ、そして6日にシエナ、サンジミニャーノ、ペルージャから9月8日にローマ発、ミラノ経由で帰国した。
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カプリに到着、船は回転させながら船着き場に寄せる。エンジンの大きい音、ボートのマットにカモメがとまっている、1996年9月2日


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カプリで好きな大聖堂広場の観察

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カプリ島からナポリを望む

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サンジミニャーノ

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シエナ カンポ

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シエナ 大聖堂


施主には、交通費と宿泊費を負担して頂いた。それだけに、毎日のスケジュールと交通の手配と、旅行している気にはならなかった。自由時間は、頂きはしたが疲れた。

さらに、銃を持つNYには行きたくなかったが、施主の誘いで、初めてのアメリカ旅行をした。1998年9月17日~22日までNY、ニューオリンズの旅。NYでは、IMC日比谷ビルの施主でもある、建築家でもあるTsao氏の事務所を訪れたのも、営業的な旅でもあった。メモ書きはあるが、スケッチをするような余裕はなかった。
その後、新橋ビルの設計の仕事の関係で、2002年5月19日~5月23日、上海、蘇州、杭洲。そして、2007年11月21日~24日2009年3月21日~20日も同様だ。香港、シンガポールと施主に挨拶と本社のロゴの実測、雰囲気の観察のために行った。でも、仕事を理由に旅行したのも良い思い出になった。

友人、娘との旅/5回

久しぶりの個人的なヨーロッパ旅行は、広場調査1999年10月23日~11月1日(49歳)

2000年6月24日~7月4日(50歳)のひとり旅そして、

2001年7月13日~7月24日(51歳)友人の深野木氏とイタリア旅行

2002年10月16日~10月26日(52歳)娘の涼子と一緒に行った、パリ、イタリア旅行 

“結構海外旅行をしたな~”と思わされた。お世話になりながら、1982年から2006年までの25年間に海外には10回行っている。
1999年(49歳)から2002年(52歳)、毎年海外に行った。その後、東急不動産等の仕事をしながら、忙しい年月ではあった。

そして、私が55歳の時2005年4月3日85歳で父が他界。

2006年9月27日~9月30日(56歳)友人の吉川氏と行った久しぶりの海外、韓国旅行。

そして、2010年12月26日90歳で母が他界。




そして、2011年からの【60歳からのひとり旅】をはじめた


同級生の友達が、“ゴルフが、人生の愉しみ”としていると同じように、私にとっては“海外の旅行”するのが人生の愉しみだ。70歳までは続けていきたい。60歳になり、母が他界し寂しい、自立の歳かな
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