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生きること 阿刀田 高の言葉 と 林家正蔵の言葉 [歳とること]

                  
               
 《“生きるだけで良いと言う”けれど、たいへんだよね》 

私は度々、友人に愚痴を聞いてもらう。その愚痴が友人にとって迷惑になるかもしれないが、相手のことも考えず一方的に話を聞いてもらう。そして、私が69歳になって、聞いている側はこんなように思っていたのかと考えされた。でもその友も20210525に亡くなった。
それを思うと淋しい。友のいない人生は、生きていくのが苦しい。


                                  
  
「私の履歴書」 阿刀田 高 20180630
「阿刀田さんの記事」

“人は自分自身について語るとき、それは常に自慢話である”と私はこう放言する立場である。卑下したり失敗を語ったり、マイナス面を言う時も、これは裏返しの自慢であることが多い。

昨今は死を意識することも多く「花は散るために咲く」と勝手に箴言を創って座右に置いている。花は散るために咲くからこそ美しい。人も、私たちの営みはすべて死を意識することから中身濃くしてきた。少なくとも文学はそうだ。AI は死ぬことができない。-ざまあみろ- ここにおいて人はAIより優れている。残された余生はこのあたりを考えよう。

 

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建築が好きです [歳とること]

『わたしの設計・監理』の建築人生
設計・監理契約し、施工途中に破談


日比谷計画パース31.jpg
《建築の流れ》
2013年年5月29日、香港の会長の承認後設計・監理の仕事を契約、そして工事請負契約は北野建設2015年7月27日、同日工事着工、杭工事、土留め工事と工事は順調だった。施主が設計変更等で2016年3月2日、契約破棄の経過を残したく書いた。https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2015-08-18


《建築の日々》
設計、工事監理の日々は毎日、朝5時40分起床、6時10分のバスに乗り、そして事務所に行く。朝7時15分に事務所。そして、8時前から仕事を始めて午後6時まで働き、自宅に午後8時前に帰り、妻と二人で夕食をして、テレビ、お風呂と、そして11時頃に就寝。2013年から2016年の3年間だった。

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思うように生きてみたら [歳とること]

【人生は思い通りに行かないもの】
一歳ずつ歳をとって、、いつか死ぬ、思うように生きてみたらどうかな


思い出すのは悪いことばかり、でも良いこともあったのでは?
半分良ければ、良しとしよう。なければ、これから探そう。


60歳代、年に一度の海外旅行を計画した。そして、実行出来た。
20090805^~20230528


ラ・プリュイエールのことわざ
 “人生はそれを感じる人間にとっては悲劇であり、考える人間にとっては喜劇である”


ホレス・ウォルポールのことわざ
“この世は、考える者にとっては喜劇であり、感じる者にとっては悲劇である”

つまり
私の人生は喜劇が良い、ものごとを深く考えないようにしよう



スケッチ001.jpg
230422バンコクにて

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一杯の朝のコーヒーはスタバから [建物と街散歩]

【武蔵境駅前のスタバ】


一杯の朝のコーヒーはスタバ


いつものように事務所に行く前、近くのスタバに立ち寄る。常連さんの顔が見える。

お客同志とのあいさつはあまりしない。これがヨーロッパと違う、誰もお互いの仕事を知らないし、尋ねない。仕事に触れないのも、マナーかな。


★注文

ドリップコーヒーをタンブラーで、注文サイズはスモール、ホット、ハチミツを4周、と注文する。マスクをしているから、どんなスタッフかわからない。
タンブラー利用で20円安くなる。ワンモア―チケットをもらって、スマホで328円支払う。

コーヒーを飲みながら文庫本を読む。今は司馬遼太郎の「坂の上の雲」だ。飲んでいると、常連さんがまた一人とやって来た‥‥。30~40分して、事務所に行く。そして、三時のティータイムに二杯目のコーヒーを飲みにスタバに行く、いつものを注文して108円支払う。

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スタバとドトール どちらが好きですか? [建物と街散歩]

「カフェ スタバとドトール」
 
どちらが好き?2023年に編集


コーヒーショップと言えば、「スタバ」或いは「ド・トール」

どちらが好きですか?僕はスタバ派、私の妻はドトール派


私は武蔵境に建築事務所をもって、33年が過ぎた。2000年11月に開店したスタバの武蔵境店には、毎日のように出かけていたが、コロナ後は行く回数は減った。コーヒーが好きだ、というより、スタバで本を読んだり、人を見たりするのだ好きだ。世界どこに行っても、スタバを探して行く。今年2023年、バンコク、チェンマイのスタバに行った。最近のスタバ・ドトール情報を。

今年から、お客が急に増えたような気がする。特に武蔵境駅前のドトールは南口と北口にある。どちらも席数を増やした。一方スタバは、相変わらず客席は少ないが、若い子たちから年配、私のような70歳代もいる。お客対応はスタバの方が、丁寧な気がする。それはレジの時の説明を見てて感じる。また、スタバの方がスタッフの笑顔が良い、と言いたいがまだマスクをしているのではっきりとは分からない。

スタッフにはファン、固定客がいる。スタッフも自分から挨拶、話しかけたりする。今も変わらないが懐かしい喫茶店のオーナーと同じ接待というのか、客に対する心配り、接待をしている。コロナ後は、マスクでみんな同じ顔に見えるのが残念。

 《スタバとドトールの比較》


カフェの利用客が多いのには驚く。夏になると、一段と利用客は増える。スタバの「 フラペチーノ」600円以上(今では700円以上)もするのに、良く売れる。子供から大人まで、最近は年配の人たちまでが買っている。期間限定と言うのも良い。


スタバの方が、飲み物、食べ物も商品の単価は、ドトールより高い。また、客層は今も変わらないが、2023年5月もやっぱり、スタバに来る人の方がファッションに個性がある。
20150815.jpg


また、働いているスタッフの雰囲気も会話も違う。「笑顔でオーダーを話しかけるように、尋ねるスタバのスタッフに対して、決まった話し方、早く注文を、とも言いそうな雰囲気でオーダーを尋ねるドトールのお店スタッフ」、というのは今も変わらないが、お客にとってはどちらが良いかわからない世の中だ。

スタバ2人.jpg



当時の個性あるスタッフ、今いくつになったのだろう?

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スタバ1.jpg
スタバ44.jpg
スタバ22.jpg


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バンコクの旧市街地Ⅱ [70歳の出会い]

現在私たちが見ているチャオプラヤー川になったのは、1542年頃からの人工的な開削工事による
掘削用の機械がなく、大変な手作業だったろう、国王の権力の偉大さを感じる


チャオプライヤー川流域の都市と住宅/タイ・水辺都市のフィールド調査1993-2003(著/法政大学院)」から、チャオプラヤー川の参考図面を3枚抜粋、旧市街地について疑問形式で再度考えた。
ラーマ1.jpg
1782年ラーマ一世になり、市街地を東側ブラナコンに遷都をした時の配置図を見ると、各区画は運河によって囲まれている。つまり、すべて船による交通網だった。
ここで4つの疑問
1)運河の多い、湿地地帯の「ブラナコン地区」に遷都したか?
アユタヤを滅亡させたビルマからの襲撃に防衛しやすい土地がら、つまり西側のチャオプライヤー川、東は低湿地帯が限りなく続いている場所
2)いつ頃、何故、蛇行するチャオプライヤー川が現在の川に変わった?
1542年にさかのぼる。当時は世界の貿易港として栄えていた、アユタヤまでの航路を短縮し、対外貿易有利にすすめるため。1570年代に蛇行する川を掘削した。そして、「ブラナコン地区」の道路・水路整備は、1857年トロン通りの道路開発から始まり、1900年代にと、急速に運河から道路へと市場交通網として、都市は変化していった。掘削前のチャオプライヤー川、下の図を見て分かるように、バンコク・ヤイ水路とバンコク・ノーイ水路がもともとのチャオプライヤー川の本流だった。
3)ビルマの襲撃のための城壁は築いたのだろうか?
現地で一部の城壁を見付けた(下の写真参照)ので、築いたと思われる。
4)プラナコン地区からサンペン地区の方向に展開?
遷都前にブラナコン地区に中国人街があり、転居する場所としてサンペン地区を提供、川沿いのバーンラック地区、西洋との交流の拠点として多くの商館や領事館が並んでいた。

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バンコク 地下鉄 [建物と街散歩]

「チャオプラヤー川の下を走る地下鉄MRT」


チャオ川.jpg
文明、文化を運んだチャオプラヤー川


1997年に工事が着工されたMRTブルーライン、ラーマ9世のときだった。外気温が異常に高い37度、外の窓からは車内は見えない、遮光性のガラスのためちょっと外観は異様に見えた。

バンコクホーム.jpeg

電車の窓.jpeg

地下鉄バンコク.jpg
チャオプラヤー川の1800年代の工事は大変だったろう.。川底と地下鉄との間10m、地盤は良いのだろう。/div>
鉄道マップ9.jpeg
MRT路線(紺色)、旧市街地を見学のため、BL30、BL31、BL32の駅を利用

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バンコクの旧市街地 [建物と街散歩]

ヨーロッパ、中国、東南アジアを旅して先ずは旧市街地を訪れる。

旧市街地には、その街だけがもつ特有の文化・歴史の香りがする。

今回はじめてタイを訪れた


【バンコクの旧市街地の見学】
4月22日~27日

<タイの王国の流れ>
(タイの基礎知識/著柿崎一郎)


9世紀初頭、タイの東北部にアンコール朝が成立
1351年新たなアユタヤ朝が出現、15世紀スコータイ朝と併合
1767年にはビルマに占領されて、アユタヤ朝の支配は終わる
同年タークシンがアユタヤ奪回し、トンプリー地区に都を築く
1782年にラーマ一世が誕生、川の対岸に「天使の都」築く
その後もビルマとの戦いは続く
現在のゾウの顔の形は1909年
1939年チェンマイ朝が現在のタイの王朝の一部に吸収される
「アユタヤ」は「アユッタヤー」が正しいようだが、
各ラーマ王位を経て、ラーマ9世により現在のタイの文化が生まれた
そして、2016年に現在のラーマ10世に至る
タイの歴史を考えるとチャオプラヤー川の魅力と偉大さを感じる。
バンコクワットプラケオ壁画2.jpeg
入場料500バーツするワットプラケオの壁画
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わずか15年間、チャオプラヤ-川を挟んで旧市街地が
西側のトンプリー地区から1787年東側に遷都した。
西地区には、政府関係・防衛関係の施設が目立つ。
バンコク旧市街地01.jpg
川幅200mを挟んで、市街地を西側から東側に遷都。
それだけに、常にビルマの襲撃の恐怖があるのだろう。

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【ひとり旅Ⅹ】チェンマイ観光 [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅹ】チェンマイ観光


チェンマイに行って、駅を見ないのもと思い、バンコクに帰る前に立ち寄ったが、ほとんど人影がない。一日の電車の本数は少ない。遠距離は飛行機の利用の方が多いようだ。
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駅前にはほとんど人影が、車もちらほらだった。


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ラーマ10世(1952年生)と4番目の王妃(1979年生?)


チェンマイ駅ホーム.jpeg
プラットホーム電車が来ていないためか、人はいなかった。


バンコクに帰る前に、スチーブ山頂からチェンマイを見に行った。
残念ながら、異常な大気汚染,薄らとしか見えなかった。

眼下のチェンマイ6.jpeg




「ワット・プラタート・ドイ・ステープ」は、チェンマイ市街から約15km西にそびえる標高1,080mのステープ山頂にある寺院。
後で聞いたことだが、娘たちは乗合タクシーで上ったそうだが、娘はくねくねする道路にめまいがしたそうだ。確かに大変な道路だった。ワットの入り口の階段を見学をした。306段の階段も上がって行く元気はなかった。バンコクに帰る当日で時間もなかったのも理由。
チェンマイ階段入口.jpeg
ワットの入り口、犬も疲れて日影で休んでいる。

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チェンマイ階段1.jpeg
306段ある。


Iチェンマイ山1.jpeg
迫力ある蛇神ナーガ、全長少なくても110mある


北欧スエーデン.jpeg
スエーデンの女の子と記念写真



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ホテルの便器は、ウオッシュレットではなく、シャワー付き、慣れるまで大変だった。



チェンマイお土産.jpeg
織物が有名なチェンマイ、服屋、雑貨屋で買った唯一のお土産


ホテルの前の食堂で食べたランチ100バーツだった。魚フライ、日本的な薄味で良かった。美味しかった。
チェンマイ魚フライ19日.jpeg



チェンマイ美人.jpeg
ホテルの近くにある喫茶店で働くバイト、チェンマイの女性と記念写真

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【ひとり旅Ⅹ】チェンマイ観光2 [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅹ】チェンマイ2

ワットはシースパンとチェディールワンだけ見学

「ワット・シースパン」は世界で最初に銀で造られた、別名「銀の寺」と呼ばれるユニークな寺院。本堂が現在の銀一色に様変わりしたのは、2,000年代に入ってからといわれています。(ガイドブックより)

チェンマイ銀寺.jpeg


チェンマイ銀寺 .jpg
男性しか入れない本堂

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かなり疲れた顔をしている


チェンマイ銀寺屋根.jpg

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どこまでが銀を使っているか、裏に回ればアルミ板とアルミビスが目立つ



旧市街のほぼ真ん中に建つ巨大廃墟寺院が「ワット・チェディールアン」

寺院が建てられたのは14世紀後半。ランナータイ王朝の第7代目の王が亡くなった父親を偲んで建立したと伝えられます。この巨大仏塔は、仏教の世界観を表す須弥山(しゅみせん)をイメージ。仏教で神聖な動物とされるゾウが仏塔を支えています。(ガイドブックより)
チェンマイ観光19日1.jpg
像がいない、修理中なのだろうか?迫力に欠ける。

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ワット・チェディールワン

「ルワン」大きい「チェディ―」仏塔という意味。


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