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術後の最初の仕事は階段  [70歳の出会い]

頚椎手術後の最初の仕事

2020年11月、手術前に設計監理の依頼
建物は以前、改装工事をした初台にある鉄骨造の共同住宅

設計・監理の仕事は階段づくり。階段は怖い、翌年の3月頃に打合せスタートを了解して頂き、仕事を受けた。

設計内容
施主の要望は、住居が2階、駐車場が1階のため、外を回って1階に行くのでなく、室内から直接行きたいとのこと
区画など法的なことを民間検査機関スラブ開口補強など構造事務所に相談しながら、ゆっくり、ゆっくりスケッチ、設計、見積と工事を進めた。

1階と2階の上り下りの方法は“スラブ開口に可動式のハシゴの利用”だったが、施主の動作を見ていると可動式は危険であることが分かり、打合せ、提案しながら‥‥最終的に固定式の鉄骨階段になった。提案・図面作成・見積・監理が設計者の役目。転倒を経験しているので階段の利用には一層の注意が必要と感じた。

展開玄関1.jpg

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バンコクの旧市街地Ⅱ [70歳の出会い]

現在私たちが見ているチャオプラヤー川になったのは、1542年頃からの人工的な開削工事による
掘削用の機械がなく、大変な手作業だったろう、国王の権力の偉大さを感じる


チャオプライヤー川流域の都市と住宅/タイ・水辺都市のフィールド調査1993-2003(著/法政大学院)」から、チャオプラヤー川の参考図面を3枚抜粋、旧市街地について疑問形式で再度考えた。
ラーマ1.jpg
1782年ラーマ一世になり、市街地を東側ブラナコンに遷都をした時の配置図を見ると、各区画は運河によって囲まれている。つまり、すべて船による交通網だった。
ここで4つの疑問
1)運河の多い、湿地地帯の「ブラナコン地区」に遷都したか?
アユタヤを滅亡させたビルマからの襲撃に防衛しやすい土地がら、つまり西側のチャオプライヤー川、東は低湿地帯が限りなく続いている場所
2)いつ頃、何故、蛇行するチャオプライヤー川が現在の川に変わった?
1542年にさかのぼる。当時は世界の貿易港として栄えていた、アユタヤまでの航路を短縮し、対外貿易有利にすすめるため。1570年代に蛇行する川を掘削した。そして、「ブラナコン地区」の道路・水路整備は、1857年トロン通りの道路開発から始まり、1900年代にと、急速に運河から道路へと市場交通網として、都市は変化していった。掘削前のチャオプライヤー川、下の図を見て分かるように、バンコク・ヤイ水路とバンコク・ノーイ水路がもともとのチャオプライヤー川の本流だった。
3)ビルマの襲撃のための城壁は築いたのだろうか?
現地で一部の城壁を見付けた(下の写真参照)ので、築いたと思われる。
4)プラナコン地区からサンペン地区の方向に展開?
遷都前にブラナコン地区に中国人街があり、転居する場所としてサンペン地区を提供、川沿いのバーンラック地区、西洋との交流の拠点として多くの商館や領事館が並んでいた。

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日本三景 松島 [70歳の出会い]

【日本の三景 松島】
観光は晴れの日が良い、小雨の日は円通院の苔が美しかった


2022年9月23日 仙台のホテル、起床5時30分いつもの通りに30分間のストレッチ。今日ははじめての仙台の観光、念願の【松島】に行こうと計画した。天気予報通りの雨。小雨、どうしようかと思いながら、ホテルを8時20分に出る。そして、仙台駅まで歩いた。仙台駅の観光案内でガイドブックをもらって、8時56分発の電車に乗った。地下から出発して、地上に出て走る仙石線、予定通りに9時37分着。相変わらず小雨が続いている。海側を歩いて、山側にある重要文化財を見るかと、大体のコースを決めた。

【松島海岸】


松島の地図.jpg


観光目的は、瀬戸内海の島のように点在する島を見たいため。海沿いを歩いて、最初に目に入ったのが、「海に突き出した五大堂」、横にスタバの案内板を見ながら‥。観光は雨でない、晴れていた方が良いなと思いながら、スケッチをするつもりがその気にもならない

東北地方現存最古の桃山建築 「五大堂」
807年に坂上田村麻呂も創建し、伊達正宗公が再建した

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円通院にある、三慧殿に似ている


1 五大堂軒.jpg


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頚部脊柱管狭窄症 手術 [70歳の出会い]

【頚椎脊柱管狭窄症】
庭に出る4段の鉄骨階段から滑って、庭にうつ伏せ状態で転倒

庭に出たのは、現場事務所が殺風景なので花を飾りたくて

2020年9月29日から10月18日の入院した入間川病院でのリハビリが、基礎体力づくりになったようだ。全く使えなかった右手が動くようになった。

最初に入院した入間川病院。脳神経外科部長の湯山先生に診察をして頂き、その後の理学療法士(岩倉氏、松倉氏)によるリハビリの対応が良かった。指導して頂いたリハビリを毎日欠かさなかった。
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ベットの上で、右腕と左腕、右足と左足をリハビリ30回ずつゆっくりと呼吸に合わせて(府中の都立神経病院では他の患者にも教えてあげた)そして、病室のフロアー一周50mを5回(病院の設計は、廊下のリハビリも考えた設計が必要)
退院時には、左手の握力が28.7 右手が13.8、右手は動くようになったしペットボトルのキャップをだいたい開けれるようになった。


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大内宿 宿場町 [70歳の出会い]

宿場町 【大内宿】
伝統的建造物群保存地区


大内宿は、会津と日光を結ぶ「会津西街道」沿いに整備された宿場町

2021年3月14日、朝5時30分頃の電車で郡山から会津若松に行き、会津鉄道に乗換て湯野上温泉にいく。そして、バスで大内宿に、片道4時間の小旅行になった。

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タイムトンネルを抜けて、江戸時代に来たような光景だった。


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正面の山が、大内宿の閉鎖性を際立させる


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山からの景観、まだ雪が残って足元が危なかった。


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湯野上温泉からのバスの運転手から、よもぎ団子の無料券をもらった。美味しかった。
観光客の若い二人連れに、撮ってもらった。出会いは愉しい。

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「60歳からのひとり旅」も終わり、「70歳の出会い」 [70歳の出会い]

【人生の楽しみは、人との出会い】


昨年の2020年2月、70歳になった。60歳代は、毎年海外旅行に行くことをひとつの愉しみにしていた。2019年のプラハなどの中欧https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2019-03-22を最後に【60歳からのひとり旅】が終わった。ひとり旅には、毎回新しい出会いがあった。こちらから心を開いて、話しかけないと、扉は開かない。一言の声掛けで、周りの景色も開けてくる。

騎手友友写真.jpg写真馬券女性 ).jpg









スペインのグラナダにて

70歳になって、何処に行こうかなどと考えていた矢先に、病院で空白の一年、71歳を向えた。これを境に「70歳の出会い」として、次のステップとしてブログを書きはじめた。
「出会い」とは人との出会いでもあり、美“物・建築・景観・動物など様々な形のあるもの、形の無いもの”との出会い。そして、ブログに残そうと思う。

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福島県三春町の滝桜 [70歳の出会い]

三春滝桜
根尾谷淡墨桜(岐阜県)、山高神代桜(山梨県)と三春滝桜。

三春滝桜が、日本三大桜の一つのこと、ぜひ見たいと思った。他も見たことが無いのに
日本三大と聞いただけで、見たいと思った。


今日、2021年4月4日、満開を見学できる最後の休日と聞き、郡山から電車に乗って三春に行った。三春駅の観光案内で、滝桜まで徒歩で40~50分、バスは一時間後とのこと、歩いて行った。三春の町を散歩しながら‥、多くの桜も見ながら‥、何か見たことがあるなーと思った建物、歴史民俗資料館を横目に見ながら、滝桜の見学に急いだ。

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開花期には四方に伸びた枝から、薄紅色の小さな花を無数に咲かせ、
その様はまさに流れ落ちる滝のよう「滝桜」と呼ばてれる。


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福島県田村郡三春町大字滝字桜久保地内、 樹齢推定1000年超、天然記念物

近づけぬ滝桜なり神々しい(宗像眞知子)

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近くにいた女の子に撮ってもらった。一言の言葉を交わすだけでも、一時のくつろぎ、癒し?
世界中どこでも出会い、会話は愉しい


歴史民俗資料館の建築家・大髙正人(1923-2010)、後で思ったが、たくさんの桜の咲く三春で生まれたんだーと思った。大高正人の弟子の藤本昌也氏、一時お世話になったことを思い出した。
 
 


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願成寺 白水阿弥陀堂 [70歳の出会い]

願成寺 白水阿弥陀堂

2021年8月20日福島県唯一の国宝の白水阿弥陀堂に行った。建築様式は方三間単層宝形造り杮葺、ゆったりした屋根の軒の線が美しい。阿弥陀堂が一層大きく見えた。時期的か、観光客が少なくて、ゆっくり見学が出来た。



橋の手前になる案内所で拝観料500円を払い、ゆっくりと俗界と極楽浄土を繋ぐ架け橋を渡った。正面の香閣が見え、その先の阿弥陀堂を見る。香閣の屋根の曲線と御堂の屋根の曲線が同じに見える。そして、阿弥陀堂に入る。内部には、国重文である平安時代の多聞天王立像(左)と持国天王立像(右)がある。私は奈良の戒壇院のお像の方が好きだ。


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場所 福島県いわき市内郷白水町広畑221


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1952年(昭和27年)3月29日、国宝(建造物)に指定された。


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香閣の屋根の線と阿弥陀堂との屋根の線が同じに見える


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軒の出と軒の曲線が好きだ


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親子の見学者に撮ってもらった


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雑学/戦国時代末期(約400年前)に中国から伝わった「香炉(こうろ)」は、参拝者の身体を清めるために利用する仏具の一つです。長い時を経るうちに「香炉の煙を体の悪いところにかけると治りが良くなる」という言い伝えが広まりました。
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空白の二年 1983年と2020年 [70歳の出会い]

「71歳までの空白の年が二回」
年末に自宅で年越しそば、翌日の元旦におせち料理を食べること


《一回目は1983年から1984年の正月をバクダットで迎えた》

《二回目は2020年から2021年の正月を都立病院で迎えた》

 
 【一回目の空白の年】
 
イラク共和国バクダットの「開発調査のための報告書」作成のために、「バクダッドの特有の景観」をスケッチしていた。警備の人と常に2人で調査した。休日は遺跡の見学等をした。爆弾を積んだトラックが店に突っ込んだりし、イラン・イラク戦争(1980~1988)が激化したため帰国をした。短い3~4ヶ月だった。シャワーの水を飲んだらしく下痢をして、2日間寝込んだ。

 
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格子上の出窓、道路と建物との境界線がない


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布袋に入れたジャガイモだけの店、人参は他の店に買いに行った


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アメ横を思わせるマーケット


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TOYOTAとワーゲンの汚れた車、巨大なモスクが目立つ


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強い陽射しと狭い歩道、出窓とで陰影が景観をつくる


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その他の街の景観

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