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シドニーオペラハウス 言葉のいらない建築 [60歳からのひとり旅]

シドニー オペラハウスはオーストラリアの国のシンボル

一枚のドローイングから生まれる建築
水面に浮く蓮をイメージした形から生まれたオペラハウス、私には折鶴 和紙 白鳥 翼を広げた白鳥 二羽に見えたり 、見る方向で翼、シェルの数は変わる竜安寺の石庭をも創造させる(60歳からのひとり旅Ⅰ)。
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37年経過したオペラハウス、岩盤の(ようにみえる低層部)上に立つオペラハウスは今も美しい


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ヨーン・ウツソン(Jorn Utzon (Jørn Utzon), 1918年4月9日 - 2008年11月29日)
は、デンマーク・コペンハーゲン出身の建築家について(抜粋ja.wikipedia.org/wiki/シドニー・オペラハウス) 1957年、彼はオーストラリア・シドニーに建設予定のオペラ・ハウスの建築設計競技に応募(39歳)、提出した設計案は図面ではなくアイデアを書き留めたドローイング程度に過ぎないものだったため、応募基準に合わないと一旦落選していた。


しかし、審査委員の一人にエーロ・サーリネンがいました。サーリネンはアメリカから遅れてきて、その時はもう他の審査員たちの協議で当選案は決まっていたのですが、落選案の中からサーリネンはウツソンの案を拾い上げて、強引に当選させてしまったという逸話が残っています。



建設費が当初の予算を大幅に上回っていることについて、公共事業相のデイヴィス・ヒューズはウツソンにデザインやスケジュール、費用についての考えを問い質し、彼がウツソンに対する支払いを止めたことをきっかけに、1966年2月にウツソンは設計者の地位を辞任した。(工事は難航し、当初5年とされた工期は14年に。総工費は予定の7000万ドルから10億ドルに膨れあがった。)


1973年女王エリザベス2世によって開館し、以後世界的に著名な建築家


2007年、シドニー・オペラハウスは、ユネスコの世界遺産に登録された。


≪言葉のいらない建築≫

建築家のJorn Utzon と構造家のO・Arup事務所の協力によって生まれた建築
   
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シェル構造の美しさ、海に向かって開く6枚の花弁
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1度は見る価値はある。国のシンボル。
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階段だらけ、階段の建物の屋上に建つオペらハウス
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広い階段を上がってホールに入る
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内部空間は外見とは違い、伸びやかさは感じない。
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外壁は汚れにくいタイル仕上げを想定
されているが、タイルの張替、清掃はされている。
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シドニーの大地は岩盤なのだろうか?

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