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イタリア好き 井口勝文ご夫婦に CinCin [歳とること]

【イタリアの小さな街 暮らしと風景 メルカテッロ】の3刷りおめでとうございます。

30歳代に人生の目的に向かって懸命に生きた様子がよく分かりました。若者はこうでないとと思います。今思うと、自分もよくここまで走って来たな、妻に感謝している日々です。

久しぶりの井口氏(1941年生れ)からの2023年の年賀はがきで、この書籍を知り楽しく読んだ。30歳代からのイタリアに住みたい気持ちが実現し、60歳代からの人生の半分を御夫婦でこの地に住むという気持ちがよく分かりました。私も73歳、彼とは9つ違い。人生は『光陰矢の如し』とはよく言ったものだ。70歳を過ぎ本当に納得、腑に落ちたというのだろうか。

私は2023年11月9日より時間が出来、経済的余裕は全くない中で、60歳代のまとめのつもりで『60歳からのひとり旅Ⅰ~Ⅹ』https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2023-12-08を整理した。そして今は20歳代からの『イタリアの広場』をまとめている。早くしないといつお声がかかるかも分からないので、頑張っている日々を送っている。

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【ひとり旅Ⅴ】 パリ 一口メモ [60歳からのひとり旅]

《60歳からのひとり旅 パリ》



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パリの歴史散歩 「メトロにのって」 著者 ロラン・ドゥッチ 訳 高井道夫
この本には、魅力的な言葉がたくさん載っている。その一部をメモしておこう。


シテ島から旅をはじめる。揺りかごの形をした島
「シテ島にはパリの頭脳とこころ、そして心臓がある」

シテ駅はセーヌ川の水面下20M、パリの胎内の奥深いところにある。

セーヌ川の由来は、女神セカーナ

パリという名の発祥は、パリソールム
ローマ人が住む上ルテティア、シテ島にはガリア人、下ルテティアはパリソールム(パリシィ人の街)と呼ばれた。彼らは川のめぐみで生計をたてていた。

ローマ帝国がパリの基礎を築いた

パリは、港町?
魚屋さんが多いのも、そうなんだ。

ローマ帝国が誕生してから70年後の紀元前52年、シテ島はただの沼地

シテ島からイタリア広場を通り、ローマに通じる街道がつくられた

南からのローマ人はセーヌの川左岸を植民地として開発、北方からのフランク族は、右岸に街をひろげた。
ルーブル美術館は、フランク人の砦そして、宮殿となり今の美術館の経緯

この都市の黄金時代には、シテ島には凡そ1万人が住み、街はセーヌ川の左岸まで、伸長した左岸には街はなかった。






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イタリア旅行の旅の本 [学ぶこと]

イタリア旅行のための一冊の本


 
イタリア旅行にはお供の本を持って、ローマ見学
イタリアのローマを見学するなら“地球の歩き方”でなく、「石鍋真澄著/サン・ピエートロが立つかぎり」を持っていくことをお薦めします。

この本の中で“ヴェネツィアは何も知らなくても訪れるものを楽しませてくれる、フィレンツェは美術を見る目さえあれば、いくらでも滞在できる。しかし、ローマを楽しむためには歴史の知識が少々必要である。”と書かれている。難しい歴史でなく愉しく読める歴史の本です。

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これからの「あらたな旅」は歴史、文化、生活様式を体感し、新たな自分を発見すること。金の豊かさでなく「心の豊かさ」を身につけて自分の財産にしよう。

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「スローに生きる」島津菜津 [歳とること]

「スローに生きる」
 
ノンフィクション作家 島津菜津(NHKラジオ第一 100528)
ラジオ番組で、はじめて島村菜津さんのことを知った。私もイタリア生活の経験があり、今もイタリアという言葉が聞けば、知らないうちに耳を傾けてしまう。

島村菜津さんは、イタリアの食いしん坊親父たちが立ち上げた『スローフードな人生』の彼らの活動を紹介している。“ファストフードやコンビニ弁当、レンジでチンを常食とする若者たち。この食のありようを、もう少しスローにしようというのが、スローフード運動。まずは、日々の食卓をじっくり見つめ直す。そして生産者にもっと近づき、食卓の時間をもっと大切にし、自然を大事にする生産者を守ろうというわけだ。”http://eco.goo.ne.jp/food/slowfood/danwa/danwa01.html

市民の「スローフード運動」の力、“食”を通じて、イタリアのある閑散としていた小さな街,ジッリオ島(Isola del Giglio/「イタリアの最も美しい村」に加入)が、活気のある街として生き返った話。そして、日本の「日本の最も美しい村」に加入している北海道美瑛町についても話されていた。www.aim-enterprise.com/GrossetoAreaGuide/Giglio.htm
www.town.biei.hokkaido.jp

1975年にイタリアから帰国、それから15年ぶりに訪れたミラノ、ボローニャ。ファーストフードの店、コンビニ店が進出していることにびっくりしたことを思い出した。

日本では、すっかりファーストフードが定着し、日本の食文化も変わった。街を限定した城壁で囲まれた自治都市の思想を持つイタリアとは違い、日本は道路に沿って広がるアメーバー状の区切りのない都市づくり。食生活は、どこに行ってもファーストフードレストランが目立つ。そうした日本にも食文化を見直そうとする街があるのはすばらしい。


スロー人生書.jpg『スローな未来へ』(著者/島村菜津)によると、「スローフード運動」の考えを持つ、「日本の最も美しい村」づくりが広がっている。05年10月に7町村からスタートし、現在09年10月で33町村が参加。食文化から地域づくりが形成され、地域領域における中心の場、新しい広場の形が出来るだろう。小さな街から「スローフード運動」が広がることに期待したい。

“もはや大都市では望めない質の高い暮らし、ゆったりとした時間を人間サイズの街づくりに奮闘する人々が増えている。「自分たちの町は自分たちで創る。自分たちの暮らしは自分たちで守る」”(『スローな未来へ』)


60歳を過ぎた私は、外食が好きでない。自宅で食べるのが一番好きだ。いくら高級な食事をしても、どうも落ち着かない。自宅で梅干し、野沢菜をおかずにして、お茶漬けを食べる方が良い。そういう食生活も“私のスローフードの生活”を楽しんでいるわけだ。

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善意のコーヒー ナポリ [食べること]

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Coffee Sospeso『善意のコーヒー』

善意のコーヒーと言う言葉をご存じだろうか?私は日経新聞夕(2013.5.7)で知った。
「善意のコーヒーの習慣の復活運動」が始まったのがナポリ”。
「'Coffee Sospeso' イタリアだからこそ生まれた運動だろう」
この運動はカナダ、オーストラリア、英国、フランスなどに広がっているようだ。日本では難しいだろう。

“ナポリっ子は特にエスプレッソが好き”だとこの新聞に書かれている。
あるブログでは、エスプレッソの発祥地がナポリだと書かれているが、そうではないようだ。(ja.wikipedia.org/wiki/エスプレッソ)いずれにしてもイタリア人はコーヒーが好きだ。


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東日本大震災 瀬戸内寂聴の言葉 生きる [学ぶこと]

【瀬戸内寂聴の言葉】
 
朝日夕110330

瀬戸内寂聴氏が2021年〈令和3年〉11月9日に他界されて、過去の記事を見直した。



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私は「無常」を、この世のはかなさを示す言葉と考えず、「この世は常ならず」と自分流に判断してきた。この世では同じ状態は決して続かない。卒寿を迎えるまで生きた私の経験と実感がそれを私に植え付けた。私の「無常観」によれば、現在のこの世の地獄も、必ずどん底からの反動として、今に立ち上がり、希望の見える世の中に変わると信じて疑わないのである。



私たちはどんな不幸の中でも決して絶望してはならない。暗闇の空に希望の星を見出す力を人間は与えられてここまで生きてきた。

被災者の皆さんのご苦労…どうか緊張と不安を少しでもいたわり、控えめでつつましく日頃の美徳を解放して、わがままになって下さい。
難を逃れた私たちは日夜、夢の中までも、あなたたちのご苦労を分け持たせてほしいとか、切に願いつつ祈りつづけているのです。


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ミラノ 朝のバールで 宮本映子 [私の読書]

宮本 映子著『ミラノ 朝のバールで』

久しぶりにイタリアでの生活、イタリア人のことを思い出す内容だった。
道路を尋ねた時の彼らの対応でも、けっして知らないとは言わず、間違った道案内も丁寧に教えてくれる。これは、フランスでも同じ経験をした。そして、バールでのイタリア人の振り舞いは、日本人のようにコーヒーや紅茶を座ってゆっくり味わうと言うことは滅多にしない。バールは彼らにとって本当に生活の一部で、本当に空気の如きものだ。その通りだ。
ミラノでは、小学生の娘・息子の登下校は、父親が送り迎えをする光景をよく見かけた。イタリアは経営者が多いし、通勤距離が短いしね。父親は日本のようにほとんど母親任せにはしない。イタリアでは「子供はわが魂のかけら」というそうだ。

僕の体験だが、ナポリの飛行場から目的地の市内のホテルまで、タクシーに乗ったときのこと。若いドライバーは、怖いぐらいスピードで走り、ホテルには早く着いた。早く着いたのだから、そして二人載せているのだからチップと運賃を二倍要求されたこともあった。フィレンツェの飛行場から市内まで、外人のカップルと私の3人でタクシーに同乗、支払う段階で、同乗者は、僕に運賃の半分要求した。でも僕は3人だから3分の1だと言い張った。ドライバーは、僕に賛同してくれた。僕は3分の1をドライバーに払って、別れた。外人は納得できず、その後も、ドライバーと論争していた。本当に人情味あふれる人たちだ。

電車・バスでの出来事、マーケットでの買い物の出来事、すべてがその通りだったーなーと懐かしくさせてくれた本だった。

尾道出身の宮本さんは、尾道に住む従妹に似た顔立ち、何か親しみを感じる。尾道は、小さい頃何度か訪れ、大人になってから3度は行っている。私の実家から車で1時間30分。静かな町、平地はほとんどなく、後方を山に囲まれて、山には“文学のこみち”(尾道は作家、林芙美子や志賀直哉、歌人、正岡子規など多くの文人墨客のゆかりの地)が懐かしい。

宮本さんは彼、イタリア人との出会いが、運命のいたずらか、彼女の一生を決めた。全く経済力がない2人が結婚。若いからできるのだろう。その後、三軒の店を構える彼はすばしい。外国での生活、相手が経済力のある人で良かった。ほんとうに運命の出会いはあるんだなー。

イタリアはこの国で出会う様々な色彩、かたち、音、匂い、味のすべてが常に五感を頼ませてくれる。

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イタリアの小さな街 暮らしと風景 メルカテッロ [学ぶこと]

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建築家井口勝文氏(福岡県出身、1941年生れ)は、ご夫婦で1970年代から、当時留学先のフィレンツェ大学のあるフィレンツェを中心にトスカーナ州で、将来の家を探していた。30歳代からイタリアに住みたいと思っていたわけだ。1993年、52歳になり、友人の紹介でメルカテッロ(ぺーザロ・エ・ウルビーノ県 メルカテッロ・スル・メタウロ)と出会い、ひとめぼれなんだろう、同年の11月に住まいを手に入れた。そして、なんと16年間(大学で教鞭しながらの16年だろう)を掛けて修復工事、70歳の2010年から、残り人生の半分をメルカテッロで、素晴らしい友人達(16年間の中で、酒好きと人柄で、多くの人との出会い)とともに生きて行く。という内容、都市計画家・建築の設計をする立場で1994年から初版の2021年、20年以上をかけて書かれた,たのしく読める内容の本。これからも建物・住まいは娘、孫へと受継がれ生き続けていくわけだ。昨年2023年、13年間が過ぎ楽しいそうな便りをもらった。井口ご夫妻にCin、Cin。
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元気な井口ファミリィ―、左端が町長2023年

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【ひとり旅Ⅸ】ブラチスラヴァ [60歳からのひとり旅]

《スロバキアの首都 ブラチスラヴァ》

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山の上にある城とすそ野に広がる街、そしてドナウ河

チェスキー・クロムロフからスイスのウイン経由で「ブラチスラヴァ」

4月10日所要時間6時間の旅、バス、電車を3回乗換、バスと乗り継ぐ
チェスキー・クロムロフの観光案内で、交通手段を色々尋ねて、この方法にした。(出発日が火曜日でなく翌日の水曜日だと直行便があった)朝6時45分発のバスで、近くのKaplice駅まで行き、2時間待って電車でLinz(Linzがオーストリアとも知らず)。車内でチェココルナで切符を買う。午後1時40分頃に着く。再度乗り換えてウイン、再度乗り換え、「ブラチスラヴァ」に到着。駅に到着したものの観光案内所もない、位置的にどこにいるかもわからず、バスの切符の買い方からバスの番号を教えてもらって、旧市街地地区に行く。

またバスの終着停から、目的のホテル探しを大変な思いをしながら、午後3時頃にやっとアパートを見付けた。受付の人が居たので良かったが、お腹が痛くなるやらで、やっとの思いで部屋に着く。
ここに辿り着くまで、色んな人と会話が出来て、旅の愉しさと思った。

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Kaplice駅で知り合ったウインに行く家族、奥さんが駅にスマホを忘れて大変


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疲れた顔が分かるだろうか?

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【ひとり旅Ⅰ】パースの都市構想 [60歳からのひとり旅]

オーストラリア大陸

オーストラリアの歴史は、1770年科学調査のために南太平洋を航海していた、英国人ジェームズ・クックが、現在のオーストラリアを英国領と宣言、流刑地のための大陸として歴史がはじまった。現在も国の元首はイギリスの女王エリザベス。


「Perthの魅力」

わかりやすい街
オーストラリアで一番大きな州、Western Australiaの州の人口約200万人の中、パースには約150万人が住む。シドニーに比べ、こじんまりとしたわかりやすい、住みやすい街。世界で住みやすい街として、とりあげられたことは分かる。

 生活に必要な施設は整ってはいるが、特別に大きなデパート、レジャー施設などがあるわけでもない。しっかりした文化施設、無料のバスなど交通機関も充実している。少し離れてはいるが、愉しめる場所はある。シドニーにいるときのように、時間に流されるのでなく、ゆっくり、ときの流れを感じられる街がパースの魅力。それが、Kevin LynchのいうLegibility(わかりやすさ)なのだろうか?わかりやすい都市とは、その中の地域とか目印とか道路などがたやすく見分けられ、しかもたやすく全体的なパターンへとまとめられるものであろう(リンチの都市のイメージ/丹下健三訳)。


街の広さ

1834年の地域計画図にみられるように、スワン川沿いに計画された。現在もパースの主要な地域となっている。都市のシンボルとなるスワンベルタワー、明確な街路(15~25m)、北は鉄道、南側と東側は川、西側はハイウエーとで、城壁に代わる地域を形成している。広さは東西4000m×1000mぐらい。

街の形、格子状
 
スワンベルタワーから伸びた南北街路を中心軸として、200~400m間隔に走る南北街路は川に下がって傾斜する。そして、スワン川(名前は原産のコクチョウによる)と並行した4本の道路、Wellington St.、Murray St.、Hay St、St・Georges Tce St.が約150M間隔の東西軸を構成している。

イメージづくりBuilding the image

この地域の主要道路は、スワン川のそばにある、スワンベルタワーから北の中央駅の方向に延びた主要南北軸Barrack St.。そして、川と平行に4本のほぼ同じ幅員の道路がある。この約150m×300m格子状につくられた街並み構成には、自分がどのあたりにいるのか理解できる。そして、川沿いには広い庭園をがある。交差点にシティーホール、教会がある。
東西軸と主要南北軸と交差した地点から2本の東西に、車の進入を規制した人間のためのモールがある。
このように、都市のイメージの本の書かれているような、パス、エッジ、ディストリクト、ノード、ランドマークの5つの要素が構成されている。

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