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沢木耕太郎作品を読んで感じたこと [私の読書]

読書があまり好きでない私が読んだ『沢木耕太郎の作品』について
旅好きな人で沢木耕太郎の「深夜特急」を知らない人はいないだろう。そして、彼を知った2013年頃から旅行記以外の7作品を読んで、すごいノンフィクション作家、鋭い・奥深い人間観察ができる人だと思った。

 
『テロルの決算』(1982年4月、35歳) 大宅ノンフィクション賞

『テロルの決算』は、すごい作品。そして、彼自身情熱家だ。
この作品は昭和35年10月12日、日比谷公会堂で、当時61歳の社会党委員長浅沼稲次郎氏(岡山出身)が17歳の少年山口二矢氏に刺されて亡くなった。その瞬間の写真が日本最初のピューリッツアー賞“1961年 『浅沼社会党委員長の暗殺』” このことを題材にしたフィクション作品。www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120316/302653/
この本は、政治家浅沼氏と学生の山口氏の生活、信条など根底を描き、この山口少年は、本当に政治のことを考えていたのだろうか?軽はずみの行動ではなかったのか?と問題を読者に投げかけている。

 『人の砂漠』(1977年10月、30歳)

ひとりの人間の存在を本当に好きでないと、ここまでは調べることは出来ないとも思った。通常、人は臭いものには蓋をしたがることを正面から調べた8編のルポルタージュした作品。
“ひとりの老女が死んだ。”から最初のルポ「おばあちゃんが死んだ」がはじまる。そして、売春防止法1956年制定に伴い、1958年(昭和33年)に赤線が廃止。元売春婦の養護施設をあつかった「捨てられた女のユートピア」「視えない共和国」話に引き込まれて読んだ

 『人の砂漠』出版の数年後に沢木さんのエッセイ集「路上の視野」の中で、 『人の砂漠』について沢木自身が述べている。≪ぼくは元売春婦だった者たちや、屑屋の中でも最下層に属する者たちを書いた。日本の最辺境の島や岬についても書いた。あるいは飢えて死んでいった老女についても書いた。 だがそれらの「物語」は、地の漂流者たちの悲惨について書こうとしたものではなかった。 もちろん告発のためでもない。彼らの「にもかかわらず生きている!」という生命力のようなものこそ書きたかった。

『凍』(2005年9月58歳)

先ずはタイトルは、沢木さんが考え悩んだだけはあって、色んなことを想像させてくれる。
自分が山に登っているような気持ちになるまでの文章表現には圧倒された。登山家でもない沢木氏、登場人物とかなりの信頼関係がないとここまでは表現できないのではと思う。
主人公の山野井氏は過酷な山に挑む登山家。シェルパなどの助けを必要としないアルパインスタイルという形でヒマラヤなど世界の山々に挑み、ヒマラヤのギャチュンカンへの登頂した世界的な登山家だ。この登山でご主人は10本、奥さんは18本の指を切断、それでも生きていこうとする生命力、そして現在もなお登山家として生きていく御夫婦。

この本で「微笑ましいエピソード」がある。ギャチュンカンから奇跡的な生還を遂げて帰国後、夫妻は凍傷にかかった手足の指を日本の病院で切断することになった。その時の話。
<父親は妙子がマカルーから帰って入院しているとき、同じ病院で小指を詰めた暴力団員が入院していた。あまり痛い、痛いと大騒ぎをするので、看護師が言った「小指の一本ぐらいでなんです。女性病棟には手足十八本の指を詰めても泣き言を言わない人がいますよ」その暴力団員が妙子の病室に菓子折りを持って訪ねてきた、という。>

『一瞬の夏』上下単行本(1984年5月37歳)

かつての東洋ミドル級チャンピオンのカシアス内藤のノンフィクションだけに実質、後味の悪い、虚しさ、そして沢木さんの真剣さの反面、中途半端な内藤氏にいら立ちさえ感じた。どうして、沢木さんはここまで彼に尽くしたのだろうか?それが沢木さんが熱情、その時に燃え尽きた感情なのだろうか?
解説の中で、柳田邦男氏が人間には三つのタイプがあると書いている。“燃えつきる”と“そうでない人間”と、そして、内藤氏のように“いつか燃えつきたいと望みつづける人間”の三タイプがあるそうだ。

『凍』 『敗れざる者たち』『無名』『危機の宰相』『一瞬の夏』上下 『世界は「使われなっ方人生」であふれている』『テロルの決算』『人の砂漠』 

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