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有元利夫を昨日はじめてしりました [建物と街散歩]

はじめて、“有元利夫”を知った
画家 有元利夫氏を日経新聞(2013年10月13日)で知った。すごい、私と同世代、同県出身、同じ頃1971、2年にアシッジ、シエナでフレスコ画を見たなど、何か魅かれる。そして、1972年、日本人夫婦(東芸大卒)との出会いも思出した。ジョット、フレスコ画などを勉強するのだと言っていた。

ロンド.jpg
1982年ロンド/女性とも男性とも分からない表現
10頭身のように顔を小さく描く、地上の4人は彼の分身


いにしえのヨーロッパを思わせる幻想的な作風で知られる画家の有元利夫(1946~85年)は、大学時代からリコーダーを熱心に学ぶ音楽愛好家だった。著/小川 敦生

「音楽は見るもの、絵は聴くもの」
「フレスコ画に感じ入って開拓した独自の絵肌は、リコーダーの素朴な音色が呼び寄せたのではないでしょうか」と妻で日本画家、陶芸家の容子さんは話す。
同期の作曲家の下川英子氏は、有元氏が『バロック音楽を聴いていると、天から花が降ってくるようだ』と言っていたと追悼集の中に書いている。

画家となるまでの簡単な生い立ち(yk2さんのブログから抜粋 ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2010-07-29 )
有元利夫は1946(昭和21)年09月23日、両親が疎開していた岡山県津山市生まれ、絵を描くのが大好きな少年に育ちます。四浪し、5度目の挑戦でようやく東京芸大デザイン科に入学、大学3年生になる前の春、利夫は1ヶ月近くヨーロッパを旅行し、ポンペイの壁画、フィレンツェではルネッサンスのフレスコ画など、、イタリアで見たフレスコ画をそのまま模倣するのでなく、日本の岩絵の具を使ったアイディアを思いつき、有元利夫ならではの画風を確立して行く。
明石雅弘氏のブログより
:ふたりは別れるか絵を続けるかの選択を迫られ、結局は有元さんの「容子は俺が死んでから描けばいいじゃないか。」の一言で奥さんは筆を折ることにしました。
:有元さんは肝癌でしたが、亡くなる数日前に朦朧とした意識のなかで自分の肩に手をやって「羽がはえてくる」とつぶやいたそうです。

私の好きな、ピエロ・デラ・フランチェスカ作『ウルビーノ公爵夫妻の肖像』は、昨年12月ウフィツィで見た。恐らく、有元さんも見ただろう。この前で1時間は見ていただろうか?日本人グループが3回通り過ぎた。
スクリーンショット 2023-11-28 191737.png

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