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空白の二年 1983年と2020年 [70歳の出会い]

「71歳までの空白の年が二回」
年末に自宅で年越しそば、翌日の元旦におせち料理を食べること


《一回目は1983年から1984年の正月をバクダットで迎えた》

《二回目は2020年から2021年の正月を都立病院で迎えた》

 
 【一回目の空白の年】
 
イラク共和国バクダットの「開発調査のための報告書」作成のために、「バクダッドの特有の景観」をスケッチしていた。警備の人と常に2人で調査した。休日は遺跡の見学等をした。爆弾を積んだトラックが店に突っ込んだりし、イラン・イラク戦争(1980~1988)が激化したため帰国をした。短い3~4ヶ月だった。シャワーの水を飲んだらしく下痢をして、2日間寝込んだ。

 
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格子上の出窓、道路と建物との境界線がない


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布袋に入れたジャガイモだけの店、人参は他の店に買いに行った


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アメ横を思わせるマーケット


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TOYOTAとワーゲンの汚れた車、巨大なモスクが目立つ


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強い陽射しと狭い歩道、出窓とで陰影が景観をつくる


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その他の街の景観

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【二回目の空白の年】


2020年70歳になり、何かがあるのでは思った。そして2020年9月29日朝5時転倒、
入院、都立病院で手術、病院のベットの上で新年を迎えた。


久しぶりに9月29日浅草の現場事務所に行くため朝5時に起き、5時40分、まだバスに乗るのに20分あると思った。そして、寒々しい事務所、花を持っていこうとハサミを持って庭に出た。
4~5段の鉄骨階段、踏み外して顔面から花壇に右腕を下に飛び込んだ。うつ伏せ状態。ブ~ン、ブ~ンと3ぴきの蚊が顔の周りをとび、さされるまま‥、どうにか仰向けになった。手も足も動かない。このまま、どうなるか、妻はいつも7時頃に起きてくる。一時間はこのままか、と思っていたら、窓が開き妻が顔を見せて、“どうしたの?大丈夫?救急車を呼ぼうか?消防車も一緒に来るよ‥”高齢者の多いマンション、最近はよく目にする光景‥

それはかっこわるいので、両足を引きずりながら、左肘だけで前進、階段を上がり、部屋に入った。まず、妻から“指でV字が出来る?”と聞かれ、左手だけは出来た。その後妻が、病院を探し、直ぐに来るように言われて、入間川病院に行った。僕は“たいしたことはない、来週から仕事に行ける、整骨院でも良い”かと思った。

妻の運転で病院に行った。脳神経外科の湯山先生診断の結果、【頚椎脊柱管狭窄症】、まさかの即入院になった。そして、先生から手術はするかどうかと聞かれ、手術をすることにした。妻の判断が良かったから、今の僕があるかもしれない。

【頚椎脊柱管狭窄症】

初回の28日間の入院生活

生れてはじめての入院生活。右手は使えなくなり、左手にだけの生活になるかと妻は思ったようだ。だから、入院後、最初の“左手で書けるように練習したら”といった言葉が胸に刺さった。事実、18日間は右手は握力ゼロ。
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右手の回復のための訓練とパンとご飯のカロリー計算

そして、“だめ老人にならないように”と言われ、毎日規則正しい生活を送るように、朝5時~5時30分に起床し、欠かさずにリハビリ、ストレッチは欠かさなかった。
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スケジュール/10月26日午後3時に退院、手術のための紹介状をもらう

28日間が終わり、心配していた杖を使うこともなく、手(握力/右手13.8、左手28.7)と足は動くようになり、基礎体力はついたのだろう。これで、手術もできる。
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入院中、使わない右手の衰えは怖くなった


退院後、首にポリネックをして、自宅でリハビリ生活を送った。
入院時と同じように朝5時過ぎに起きて、ストレッチ、散歩と繰り返した。ボケ老人にならないように読書と一級建築施工監理士の勉強は続け、夜10時に就寝。その間の出来事は、入院生活が長くて、ホテルの設計監理の仕事は、中断した。府中の都立神経病院に検査入院は、11月30日~12月2日そして自宅療養は、12月16日まで続いた。

手術の入院生活は、2020年12月17日~2021年1月14日

12月21日午前9時45分~午後7時、高井先生以下5人の医師スタッフによる大手術、13.5cmの切開だった。全身麻酔で全く記憶にない。手術後、妻が“クロちゃんが待っているから、帰るね”が聞こえた。そして、術後ICU室の検査、ナースステーションに近い特別室に入る。天井のシミが人の顔に見えたり、動物に見えたりした。2日後か一般病室にもどる。


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入院中は、こんな格好で24時間を送った。

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都立神経病院で正月を迎えることになった



病院生活も長くなると、生活費、将来の事など悪い方向ばかりに…心の動揺がある。

北海道のお客様(美唄で住宅と東京で共同住宅の設計監理)からの言葉で、「入院生活は神様からのおくりものと思ってゆっくり静養してください」
入院している時、大学時代の友人に励まされ、退院して6月になったら会おうと言っていたが、 その彼が12月5日脳梗塞で入院、ガンが見つかり5月29日他界した。友を失うことは寂しい。
病室の窓から見る光景は美しかった


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雪の舞う富士

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日の出午前6時50.分頃

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手術後、レントゲンでみた。手術は成功の事で安心

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左/手術前・右/手術後 頚椎はC1~C7の7カ所、その内C3,4,5を広げ、人工骨を挿入

2021年1月14日午前10時に退院。頭を支える首は大切にしないとだめと思った。頭の重さをご存じだろうか?体重の1/6(ボーリングの重さぐらい)を支えている。
入間川病院も府中の都立神経病院の看護婦(2002年から男女看護師)には本当にお世話になりました。同室の人達には、積極的に声をかけて毎日充実な日々を送れた。

そして、その後も自宅でリハビリを続けた。そして、2月になり知らないうちに71歳になった。そして、3月仕事を始めた。https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2021-09-19


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