金沢の旅 一日目 [60歳からの旅]
60歳からの旅Ⅳ あこがれの金沢
マンションの基本設計と実施との合間を縫って、金沢に旅行をした。
兼六園と九谷焼の見学そして、建築見学だ。
今回の旅も偶然から楽しい旅行になった。百万石まつりもその一つだ。
2012年5月31日、行きは高速バス、帰りは6月2日、電車。
新宿を午後11時10分発、金沢に午前6時40分、予定より20分早く、無事到着。
富山から金沢に行く途中、砺波平野の散居村と呼ばれる集落(ja.wikipedia.org/wiki/砺波平野)を見た。広い大地に点在する黒い瓦の家屋と家屋を囲う防風林の杉の景観は美しい。
金沢駅でガイドブック“ことりっぷ金沢 北陸”を買う。駅前白山そばを食べる。麵の長さが短く食べやすく、美味しかった。
<一日目>
金沢白鳥路ホテルのチェックインは午後6時、温泉にも入りたいし疲れたので、午前中は午前6時から営業している山代温泉にある総湯(内藤廣設計)に入るために加賀温泉駅に行った。
山代温泉の歴史は古く西暦725年に、高僧が霊峰白山に向かう途中、傷口を湧水で癒す三本足の霊烏を見付け、温泉が発見されたそうだ。明智光秀、与謝野晶子、魯山人など多くの人が訪れた湯治場として有名とのこと
金沢駅から1時間近くかけ、8時20分頃、加賀温泉に到着。
案内板を見ると“総湯”は駅から離れている。バスで10分。山代温泉の先の山中温泉のこおろぎ橋がおもしろそうだが、バスの本数が非常に少ない。諦めて、山代温泉だけにした。
総湯と古総湯と魯山人寓居跡いろは草庵と九谷焼窯跡展示館(設計/内藤廣)そして、隣の駅の大聖寺にある石川県九谷焼美術館に行った。
総湯で、身体を洗い、古総湯で湯につかりゆっくり時を過ごした。
総湯はモダンな明るい建物、朝早くから多くの人が利用していた。しかし、古総湯では、私一人、九谷焼きのタイルの床に寝転んだりしながら愉しんだ。入浴料金は合わせて700円。
「古総湯」四間角の浴室
「総湯」
<「ヨーロッパの街づくり」は、教会、市役所を中心に築かれ、人が集まる広場がある。そして、現在もなおその形態が生かされている。
「総湯」を中心に温泉宿が立ち並び、江戸時代の温泉地の原風景が今も残っている。 ヨーロッパの広場に変わるのは、総湯“お湯端会議”だろう。
「古総湯の2階から見る景観」
久々に魯山人のことを思い出した。明治16年~昭和34年までの76歳の生涯。料理人、陶芸家、料理のプロデューサーは、以前から本から知っていた。ここで、書家、篆刻家(てんこくか)とのことを知った。
細野燕台に伴われ、刻字看板を彫る目的で訪れた山代温泉、魯山人はこの地で、多くの出会いがあり、彼の人としての基礎が築かれたではないだろうか。これからの人生の出発地ではないだろうか。
「新しい展示室から書斎、仕事部屋を見る」
食べ物はないのに、庭に一匹の烏がいた。
1826年、大聖寺の豪商吉田屋伝右衛門によって九谷村から移された。多くの名品が生み出された再興九谷の登り窯の跡
九谷焼は、古九谷焼との2つに分けられる。皿いっぱいに描かれた色鮮やかな色絵は、庶民のためではない。芸術品としての古九谷焼は美しい。
大聖寺駅から金沢に戻ったのが、午後4時だった。チェックインまで2時間。気ままに兼六園、21世紀美術館、ひがし茶屋街の周辺を散策した。偶然にも今日から3日間、百万石まつり。
観光地に近く、温泉のある白鳥路ホテル(温泉、朝食付き8000円)には、午後6時に着き、一休みをして、夕食のため外出。目的のすし屋が見つからなかったので、中庭のあるカフェーバーでイタリアンを食べた。その後ホテルに帰るが、下痢でしばらく大変だった。
明日は早く起きて、市内見学をしようと思い早く寝た。
3.2m×4.8mの寝室
どんな旅にも、新しい出会いがある。
そして
出会いで過去の忘れていた楽しい出来事などが思い出される。・
旅には過去を振り返り
・新しい出会いと出来事の出会い
不思議なちからがある。
だから、旅は愉しい
マンションの基本設計と実施との合間を縫って、金沢に旅行をした。
兼六園と九谷焼の見学そして、建築見学だ。
今回の旅も偶然から楽しい旅行になった。百万石まつりもその一つだ。
2012年5月31日、行きは高速バス、帰りは6月2日、電車。
新宿を午後11時10分発、金沢に午前6時40分、予定より20分早く、無事到着。
富山から金沢に行く途中、砺波平野の散居村と呼ばれる集落(ja.wikipedia.org/wiki/砺波平野)を見た。広い大地に点在する黒い瓦の家屋と家屋を囲う防風林の杉の景観は美しい。
金沢駅でガイドブック“ことりっぷ金沢 北陸”を買う。駅前白山そばを食べる。麵の長さが短く食べやすく、美味しかった。
<一日目>
金沢白鳥路ホテルのチェックインは午後6時、温泉にも入りたいし疲れたので、午前中は午前6時から営業している山代温泉にある総湯(内藤廣設計)に入るために加賀温泉駅に行った。
【山代温泉】
山代温泉の歴史は古く西暦725年に、高僧が霊峰白山に向かう途中、傷口を湧水で癒す三本足の霊烏を見付け、温泉が発見されたそうだ。明智光秀、与謝野晶子、魯山人など多くの人が訪れた湯治場として有名とのこと
金沢駅から1時間近くかけ、8時20分頃、加賀温泉に到着。
案内板を見ると“総湯”は駅から離れている。バスで10分。山代温泉の先の山中温泉のこおろぎ橋がおもしろそうだが、バスの本数が非常に少ない。諦めて、山代温泉だけにした。
総湯と古総湯と魯山人寓居跡いろは草庵と九谷焼窯跡展示館(設計/内藤廣)そして、隣の駅の大聖寺にある石川県九谷焼美術館に行った。
【総湯と古総湯】
総湯で、身体を洗い、古総湯で湯につかりゆっくり時を過ごした。
総湯はモダンな明るい建物、朝早くから多くの人が利用していた。しかし、古総湯では、私一人、九谷焼きのタイルの床に寝転んだりしながら愉しんだ。入浴料金は合わせて700円。
「古総湯」四間角の浴室
「総湯」
<「ヨーロッパの街づくり」は、教会、市役所を中心に築かれ、人が集まる広場がある。そして、現在もなおその形態が生かされている。
「総湯」を中心に温泉宿が立ち並び、江戸時代の温泉地の原風景が今も残っている。 ヨーロッパの広場に変わるのは、総湯“お湯端会議”だろう。
「古総湯の2階から見る景観」
【魯山人寓居跡 いろは草庵】
久々に魯山人のことを思い出した。明治16年~昭和34年までの76歳の生涯。料理人、陶芸家、料理のプロデューサーは、以前から本から知っていた。ここで、書家、篆刻家(てんこくか)とのことを知った。
細野燕台に伴われ、刻字看板を彫る目的で訪れた山代温泉、魯山人はこの地で、多くの出会いがあり、彼の人としての基礎が築かれたではないだろうか。これからの人生の出発地ではないだろうか。
「新しい展示室から書斎、仕事部屋を見る」
食べ物はないのに、庭に一匹の烏がいた。
【九谷焼窯跡展示館】
1826年、大聖寺の豪商吉田屋伝右衛門によって九谷村から移された。多くの名品が生み出された再興九谷の登り窯の跡
【石川県九谷焼美術館】
九谷焼は、古九谷焼との2つに分けられる。皿いっぱいに描かれた色鮮やかな色絵は、庶民のためではない。芸術品としての古九谷焼は美しい。
大聖寺駅から金沢に戻ったのが、午後4時だった。チェックインまで2時間。気ままに兼六園、21世紀美術館、ひがし茶屋街の周辺を散策した。偶然にも今日から3日間、百万石まつり。
観光地に近く、温泉のある白鳥路ホテル(温泉、朝食付き8000円)には、午後6時に着き、一休みをして、夕食のため外出。目的のすし屋が見つからなかったので、中庭のあるカフェーバーでイタリアンを食べた。その後ホテルに帰るが、下痢でしばらく大変だった。
明日は早く起きて、市内見学をしようと思い早く寝た。
3.2m×4.8mの寝室