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【ひとり旅Ⅰ】オーストラリア  [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅰ】オーストラリア

2010年2月に60歳になったが、相変わらず経済的にも余裕のない。年月だけは一日一日と過ぎてゆく。6月に鉄骨造3階建ての改修と木造住宅の設計の仕事が始まった。金銭と時のバランスの悪さを考えながら、この先、どのように生きていくかを考えた。そこで、年に一度の誕生日を海外で祝う《60歳からのひとり旅》をはじめた。

梶井基次郎の言葉ほどよい怠けは生活に風味をそえる”

《60歳からのひとり旅》は、友人の娘さんが家族で住んでいる、シドニーに行くことに決めた。日本との時差が1時間しかない、東京を夜出て翌日の朝に着くという魅力。パースは世界でいちばん住みやすい街として、ガイドブックに紹介されている。
『60歳からのひとり旅Ⅰ』
2011年2月2日~2月9日 8日間の旅

          航空券(シドニーとパースの往復)  150,000円
          宿泊費                  56,000円  
          その他 食事等        40,000円 合計250,000円     

貴方の趣味と聞かれ、年一度の海外旅行が唯一の趣味と答えることにした。


<航空券・ホテル予約はHISで手配>

まずは、12月末、HISで旅券(15万円)を買う。(1月に買った方が安かった。)ホテルはインターネットで、agodaとHISを利用して探した。パースのホテルはagodaから探した。そして、シドニーのホテル探しは(数年前に、HISの紹介で泊まったホテルはひどかった)、HISのセール中との言葉に魅かれて、シドニー3泊の中の2泊をHIS紹介のホテル、1泊9,000円。BDの1日はagodaから選択、一泊18,000円(The Russell Hotel)は良かった。
飛行機は少し高いが、仕事の関係で直行便のカンタス航空を選択。操縦は上手い、案内からサービス、食事の内容も満足。シートのサイズ(幅495mm、空きスペース250mmを含めて長さ800mm)は広いかどうかはわからないが、シートの頭部分は、二重になっていて頭を挟み込み、更に目隠しにもなる構造になっていた。
 
<旅行内容>
 
2月2日~3日 2日、事務所から成田に向かう。午後10時30分出発、3日午前6時 
2月3日~6日 パーツ   
2月6日~9日 シドニー  パーツからシドニーに行き、BDを祝い、9日時間通り、成田に午前6時到着し、直接事務所に行き仕事をした。

<目的>

61歳の誕生日は、私にとって高級ホテルを予約し、私の好きなデンマークの建築家ヨーン・ウツソン(Jorn Utzon (Jørn Utzon), 1918年~ 2008年享年90歳)の設計したオペラハウスを見ながら誕生日を迎えること。
https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2013-02-25-8 
『オーストラリアの開発はシドニーからはじまる』

<オーストラリア>
人口 約2,215万人(2009年12月統計局)

オーストラリアという名の命名について/ja.wikipedia.org/wiki/マシュー・フリンダース
 
パースの人口150万人 シドニー440万人 キャンベラ35万人 メルボルン400万人など 

   面積 約769万㎞2(日本の20倍)
   首都 キャンベラ(6つの州に分けられる)
   西オーストラリアの州の州都のパース、ニューサウスウェールズ州の中心地シドニー


歴史オセニア001.jpgオーストラリア大陸はヨーロッパ人が入植するまで、50万~100万人の原住民アボリジニ(「Aborigine」英語で原住民という意味)が平和に平穏に生活していた。英国人ジェームズ・クックが第一次航海(1768年8月~1771年2月)の時、1770年3月にニューオランダ(現オーストラリア)のボタニー湾(植物学の湾/クックが動植物が豊富のため命名)に寄港、探査。さらに北上し航海を続けている中、暗礁に乗上げ、修理のためやむなく停泊。この時にクックは上陸。そして、原住民を無視して一方的にイギリス領と宣言(気性の厳しいクック)。


イギリス国内にあふれる囚人約750名(この後80年間に16万人の囚人)を乗せ、ボタニー湾に初めてヨーロッパ人として入植するために出て行った。1788年1月18日にボタニー湾へ到着。ただ、ここは十分な飲み水が無く、居住にも適しているようには思われず、フィリップ総督はボタニー湾の北で、(彼が言う所の)自分が発見したポートジャクソン港(今のシドニー市)に向かう。

「さあ出発」

2月2日、午後4時まで仕事。そして、成田に午後8時30分、出発の2時間前に行った。カンタスのカウンターに行く。すでに多くの人たちが並んでいた。オーストラリアは夏、待っている人たちはそれなりの服装。私もセーター、ジャケットを脱ぎラフなスタイルになった。シートは窓側でなく、真中の列の真中になった。オーストラリアとは、ほとんど時差がないのが助かる。機内で夕食を食べ、寝て起きたら…朝食。機内と隣の席の人と一言もしゃべらず(帰りはしゃべり通し)少し緊張気味のよう、そしてパースに到着。パースの午前の気温、22度、お昼は35度との機内アナウンスがあった。9月~11月が春(平均気温22度)12月~2月が夏(平均気温30度)、3月~5月が秋(平均気温24度)、6月~8月までが冬(平均気温18度)。四季があるものの、ほとんど一年中夏だ。

「パースに到着」

2月3日 午前6時30分(日本時間7時30分)、日本との時差は-1時間。少し着替えをした。まず、両替。国内で両替するよりは行先で両替する方がレートが良い。しかし、手数料が高く、ほとんど100円が1オーストラリアドルと考えた方が良い。(円の価値も下がったなーと思いながら2万円両替をした。友人のアドバイスは両替所の利用よりは、クレジットカードの利用することが良いとのことだった。ホテルまでのバスはガイドブックを見ながら探した。料金はシティシャトルバスより高いが、往復でホテルまで送迎するオレンジ色のconnectバスを利用した。バス料金は国内飛行場も国際線も同じだった。

Perth 送迎bus.JPG

Aarons Hotelに到着

ホテルに午前8時前に到着。ホテルの利用は午後2時からとのこと。ホテルに荷物を預けて、早速、街の中をぶらつく。機内で朝食が出たので、特にお腹は空いていなかったが、バールに行き、コーヒー、クロワッサンを食べた。そして、水、果物を買ってもすぐ2ドル、3ドル。昼飯にサンドイッチを食べても10ドル近く掛かる。日本の物価の1.2~1.5倍ぐらいだろうか。これでシドニーに行くと2倍を覚悟する必要がありそうだ。
地図を買うつもりで本屋さんに行ったが、表現、密度といえ、ほとんどガイドブックと変わらない。20ドルもするのでやめた。書籍類は高い、果物も高い、特にバナナは高く感じた。これも輸入規制、国内生産を第一に考えているためだろう。ガイドブックを見ることなく、散策した。分かり易い地形に感動した。さすがイギリスの都市計画だと思った。
パースは「City Gateのある都市」


Swan Riverに入港のゲートが4か所あり、それが小高い丘の上の方向に伸び、主要街路となっている。そして、この街路に垂直に4本の幹線が平行に走っている。街の開発はゲートからはじまったのだろうか?
分かりやすい都市構成


明日の予定を決めた。フリーマントルと、資料収集のため図書館に行くことにした。そして、午後2時になりホテルに戻った。鍵をもらい、部屋に入る。部屋の広さは2.9m×4.8m。その中、水回りは1.8m×1.8m、浴槽はなくシャワーと便器と洗面台(ドアのかぎの高さが1.3m、洗面台は高く0.9m)。荷物を整理した。

Perth H4.JPG
シャワー、洗面台


Perth H2.JPG
こじんまりした部屋だ


『街の見学』


PerthSt0old.JPG
このゲートをくぐると過去の世界に入る。


Parthst2old.JPG


Perth 果物.JPG
1㎏の価格です。ものは良い。バナナは結構高い


Perth M女性.JPG
自転車の利用者はヘルメットを着用、だからかわいいヘルメットが売られている。


Perth女性2.JPG


川側はカモメ、街にはハトがいる。エサの取合いの闘争をするのだろう。
Barrack Str.Jetty.JPG
SydneyO2.JPG






P.S.G4庭.JPG
公園の中にはこんな樹木、びっくりした。
自然を大切にするイギリス人の気持ちが伝わります。


Swan Bells3.JPG
造形的に面白そうなシンボルタワー


道化師2.JPG
道化師の彫像



PerthForestP広場.JPG
郵便局に行って日本にはがきを送りました。

バイクレジャー自転車.JPG
今日は休日、街の中を自転車で楽しんでいる。


カンガルー3.JPG
カンガールの彫像、生きているよう


カンガルー2.JPG


Perth StirlingG彫刻.JPG
ペン先?

パースが建設されて、200年経過はしていない(1829年、自由移民の入植地であるスワン川入植地の首府としてパースが建設された)。完成されたような、落ち着いた街並みだ。イギリス人の都市計画が優れているからだろう。整然とした道路幅と建物の高さ、そして点在する彫像などの繊細な人に対する、こころ配りが感じられ、ゆっくり景観を愉しめる。さすが『パースは世界で一番住みやすい街』として、紹介されたことが分かる。
パース都市圏の人口は約209万人(2019年)にも及ぶ。西オーストラリアを代表する大都市である。地方自治体(シャイア)としてのシティ・オブ・パースは人口は27,762人程度(2018年)
明日はフリーマントルに行こう。



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