【ひとり旅Ⅶ】ポルト 街と建築 [60歳からのひとり旅]
『ポルト 街と建築』
ここを訪れるきっかけは生前大橋巨泉が永六輔の番組で、“ポルトの露天で食べたイワシの焼き魚が美味しかった”と聞き、ポルトの旅を計画した。ポルトには6本の橋がある、どれも個性的で美しい。これらをスケッチすることで、ポルトの見学は終わったといっても良い。川沿いをずっと歩いたわけだから、最低でも5km、二倍で10km歩いて、美しいアングルを探した。
ある日、川沿いのルートを走るレトロな電車に乗った。そして、車窓から、外で魚を焼いている光景を見た。翌日ランチに食べに行った。何の魚を食べようかと、人のお皿を見たり、魚を焼いているところに行ったりして、相談して、「イワシとサラダミックス」を食べた。ただのイワシだが、美味しかった。
『ひとり旅Ⅶ ポルトの旅 2017年7月27日~8月2日』
『ポルトは、リスボンの第二の都市、美しい街並みと橋と新しい建築が楽しい街』
大西洋に隣接するポルトは、街を南北に二分するドウロ川が流れている。南側はポルトワインで知られ倉庫が立ち並び、ポートワインを運んだ帆船が浮かび美しい。
南北とも丘陵地に築かれ、川に流れ込む形状をした起伏があるだけに山岳都市を思わせる楽しい光景だ。そして、ドウロ川にかかる6本の橋が、非常に美しい。一番よく知られ、生活に欠かせないドン・ルイス一世橋1886年は、エッフェル塔1889年を設計したギュスターヴ・エフェルの弟子が設計した。上を電車と下は車と人が通る二重構造になっているこの橋は、下層部だけでも174mある。
ここから川に飛び込んで遊んでいた子供が、“飛び込むから金をくれ”と言っていた。この橋を見るためにポルトに行くのも良い。エッフェルの設計したドナ・マリア・ピア1877年、すべての橋は美しい。
この日は20km歩いた。そして近道をしようと、石段の細い急な道を上り、廃線になっている道に出たり、廃家の中を通ったりして、迷った。フェンスで外に出られなくて、Help,Aiutoと叫んで、近くの住民に助けてもらってやっとホテルに戻ったのが、午後9時40分だった。
大西洋側の、車だけの鉄筋コンクリートの橋
旧市街地の対岸から望む
現代建築の見学
日本を代表する建築家、「槇文彦」氏と5歳違い、1933年生まれの「アルヴァロ・シザ」。槇さん同様、現役で働いている。設計を見る限り、良いおじいさんになっているだろう。設計事務所に行こうと思って、美術館の売店の女性に住所を教えてもらった。二人の日本人が働いているとのことだったが…。こんな年になって、伺うのもどうかと思いやめた。
『近代美術館』
外観は「シークエンスを大切にした建築、環境を取り込んだ建築」だと思う。そして、「天井高さ、通路幅などヒューマンなスケールで分かり易い空間を創り出している」と感じた。
美術館の受付、オープンな感じだ。
受付から玄関までわずかに傾斜している。右側が受付。
中庭から左側美術館の玄関を見る。無駄のない空間つくり、分かりやすい。
誰でも出来そうな空間デザインだが、引きつける。
抑制した高さ、水平線、周辺の環境を配慮した控えめが外観。
『ポルト大学建築学部』
道を迷って、一度は諦めたが、美術館の売店の女性に見学を薦められて、翌日探しに行った。大学を見学後、帰りに、イワシを食べに行った。
「シークエンス」を外部空間構成と同様に内部にも取り込んでいる。
大学の入り口、裏門か、控えめの空間、環境づくり。
斜めの窓は、スロープに合わせた横長の窓。
点在するマス、変化する空間・環境つくりだろうか?
ひとつにまとめていないのは、点在・変化を求めたのだろう。
大学は休校日。見学者が多いためか、自由に校舎の中まで入れた。広い敷地に点在するように計画され、近代美術館と同じ雰囲気がある。奇を狙ってもいない。ごくありふれた様々な顔を持つ空間の連続だ。
長窓、スロープ。階段もある
営業している喫茶コーナーもあった、外のテラスでコーヒーを飲んだ。50代の男性が一人コーヒーを飲んでいた。その人は、建築を志したが、止めて技術者として働いているとのこと。どこを見学すればいいとか、事細かく教えてくれた。ポルトの見学は今日が最終日。結局、彼が教えてくれた橋だけを見に行くことにした。
『その他の建築』
「Casa da Musica」
何も言うことはありません。室内の音は良いのでしょうか?美しくはない、奇を狙った建築はこの歳になるを疲れて見たくないので、次の見学に行った。
この空間は面白いとは思わない歳になった。
レロ・イ・イルマオン書店の向かいにある建物
世界遺産に登録されてからか、入店には4ユーロの入場料が必要。まだ、30~60分並ぶ。
並ぶのが嫌いなのでウロウロして、偶然向かいに楽しい建築を見付けた。
シザの弟子が設計したとのことを近代美術館の女性から聞いた。
屋上庭園だが、ここでのんびりしていたら、どこにいるか忘れてしまう。愉しい空間、癒しの場所。
建物を二つに分け、屋上で結合させ、屋上庭園をここまで表現しているのは、素晴らしい。地上のオリーブ畑にいるような気になる。不思議なのが、屋上でくつろいでるのが、ほとんど若い人達。結構大胆なスタイルで、思い気ままに日向ぼっこをしている。ブランコに乗ったり、ウエディングドレスの記念写真を撮る場所として、パーティ会場にしたり楽しい場所だ。屋上から世界遺産になっている本屋さん良く見える。
すごい行列、有料なので書店の入店は止めた。
8月2日、ポルトからバルセロナに帰った、残り3日間を楽しもう。
ポルトからバルセローナに向かう。
【ひとり旅Ⅸ】プラハ カレル橋 [60歳からのひとり旅]
【ひとり旅Ⅸ】プラハ カレル橋
プラハの見学の最初の日、4月5日朝6時頃、カレル橋に行った。高さ7~8m(橋の床から/実測)には、圧倒された。この30人の聖人をスケッチすることを決めた。(説明書きは、ウイキペディアより)
カレル橋を渡り、プラハ城に至る道を『王の道』とよばれた。
カレル橋は、カレル4世(在位1346~1378)の命をうけて城下町と商人の街をむすんで架けられた石橋。長い年月を掛けて、橋の幅9.5m、長さ510mの橋の両側の欄干の上に、30m間隔に30の聖人の石像が設置された。
ローマで広場とは『彫刻で囲まれた空間』、彫刻で囲まれない空間は広場ではなかった。広場は彫刻が主役今日のカレル橋は露天広場になっている。(プラハを歩く/田中充子著)
□
30人の聖人は、ボヘミヤに関連した聖人が多い。スケッチしてみて、5つの像が気になった。 7番(1707年イエッケル作)、9番(1938年ドヴァジャック)、12番(1857年マックス作)、16番(1720年ブライン作)、24番(1710年ブロコフ作)の作品が好きだ。重要なのは、7、10,15、24番だそうだ。
「聖人の高さ6m、橋から見上げて7mぐらい、2階建てのビルを見上げる」
聖人の高さは、様々ではあるが実測したら、床から7m以上ある。
4月15日朝7時から午後2時までのスケッチ作業。観光客が多くて色々、写真を撮らせて欲しいなど色々あったが楽しかった。
人通りがある場所でのスケッチ、側で絵を売っている人もいるし、大変。
1:聖イヴァ像(1711年ブラウー作)
2:聖母と聖ベルナルド(1709年イエケル作)
3:聖母と聖ドミニクス、トマス・アクイナス(1708年イエッケル作)ドミニコ会と聖母のつながり表現
4:聖バルバラ、聖マルガリータ、聖エリザベート像(1707年ブロコフ作)
5:ブロンズの十字架(1628年ヒルガ-とマックス)土台左右に聖母と聖ヨハネ像
6:ピエタ像(1859年マックス作死後十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリア)
7:聖アンナと聖母子(1707年イエッケル作)「安産」「丈夫な子供」「母乳」関する願い
8:聖ヨセフ(1854年マックス作)イエスキリストの父ボヘミヤの守聖人の一人
9:聖キュリロスと聖メトディウス(1938年トヴァジャック作)
10:聖フランシスコ・ザビエル(1711年ロコフ作)イエズス会創設者の一人
11:洗礼者ヨハネ(1857年マックス作)イエスキリストに洗礼をほどこした人物
12:聖クリストファル(1857年マックス作)信者が危機の時難を救ってくれる聖人
13:聖ヴァ―ツラフ、ノルベルト、ジギスムント(1857年マックス作)キリストを布教した人達
14:聖ボルジア・フランシスコ(1810年ブロコフ作)
15:聖ヤン・ネボムッキ-(1683年ブロコフ作)ボヘミヤで最も人気のある聖人。
投獄後mカレル橋から川に投げ込まれ死、最初に製作された彫像
16:聖ルドミラとヴァ―ツラフ(1720年ブライン作)ボヘミヤにキリスト教を布教した聖女)
【ひとり旅Ⅸ】チェスキークロムロフ [60歳からのひとり旅]
チェスキー・クロムロフの三日間
何処にも行かず、ゆっくりとスケッチとカモとの遊びと夜景を楽しんだ日々
プラハでは、ゴ~ン~ ゴ~ン~という教会の鐘の音で起き
(5時は5回の音、そして、30分毎、30分には鐘の音は二回)
チェスキー・クロムロフでは、川の流れの音、鳥の囀りで目覚めた
というよりも、僕の方が1時間ぐらい早く起きるので、‥でも雰囲気的にはそうだった。
蛇行する川に囲まれた小さな街
◆
チェスキー・クロムロフの街をS字に蛇行するヴルタヴァ川が流れている。街と城の建設は13世紀後半に始まった。14世紀以降、川を利用したボヘミアの重要な通商路となり、手工業と交易が盛んになった。16世紀以降、ルネサンス様式の建物、領主が変わり17世紀以降、バロック様式も取り入られた。混在した様式を持つ街だが1992年、歴史地区を文化遺産の街として登録された。
2019年4月10日、旅も1週間目になる。言葉を覚えた。これも海外の旅だから愉しめること。
「お早う」を、“ドブレー ラーノ”と言う。そして、「こんにちは」は、“ドブリー デン” 「ありがとう」は、“ヂュクイ” 何回も使い、笑顔、笑われたりの返事ではあったが、でも、一時の旅行気分には慣れる。ただ、私にとっては覚えにくくすぐ忘れた。
チェスキー・クロムロフは、ときの流れがゆっくり、チェコの田舎町、落ち着いた街
本当に観光だけの街だ。観光客のためのアパートとして、観光客のためのレストラン、お土産店だけが並ぶ街だ。あるレストランに来るカモの夫婦と遊ぶ、カモにもテリトリーがあり、縄張り争いを良く見かける。
カモの夫婦のテリトリーはこのレストラン辺り
川に囲まれた、美しい街だ。他の街に観光をと思ったが、ここでゆっくりスケッチをすることに決めた。
昼食と夕食は、COOPで買い物をして、アパートで自炊の日々だった。
右手前の子供のお店で、孫のお土産を買った
この階段を下りて私の借りたアパートに行く
何を話しているのか、ここにはいつも誰かが腰かけている
【ひとり旅Ⅸ】プラハ [60歳からのひとり旅]
【ひとり旅Ⅸ】中欧プラハ
チェコスロバキアは、1993年、ベルリンの壁が崩壊後、チェコ共和国とスロバキア共和国と二つの分れ、チェコの首都はプラハ。スロバキアの首都は、4月10日に行く、プラティスラバ。通貨はコルナ。プラハは、“ヨーロッパのヘソ”と呼ばれている。或は、プラハは、“北のローマ”、“童話の国”、“百塔の街”、“黄金のプラハ”とも呼ばれている。プラハほど色々の名が似合う街はない
パリ、マドリード、ウイーン、ローマより美しい街だろう
プラハのカフェの朝は遅い、朝起きが好きな私は、フィレンツェが好き
ヴルタヴァ川(ドイツ語モルタウ川)で2分され、西のお城、城下町と東の旧市街、新市街の4区分。“歴史は6世紀後半にスラヴ民族によりヴルタヴァ川河畔に集落が形成された。9世紀に西側の丘陵にプラハ城の基礎となった城塞が築かれたことに始まる。‥12世紀になってボヘミア王国に昇格して領土が拡大、14世紀半ば、ボヘミア王国カレル1世が神聖ローマ皇帝カール4世になると、プラハは帝国の首都となった。(世界遺産100より)“
様々な映画のロケ地に使われる、永遠に美しい街
「ミッションインポッシブル」 「のだめカンタービレ」等多数
◆
交通機関の地下鉄・トラム・バスはすべて同じ切符を利用
切符は、必ず使用前に時間を、改札にあるの刻印機に自分で刻印することをわすれにこと。ほとんど駅員はいない。
乗車下車時に、極たまに、乗車券の検査員に出くわします。日本人は、観光客だからチェックされないかもしれない。でも見つかれば2倍の料金を取られます。金額より、嫌な思いをするから買った方が良い。
自動改札機は、良く壊れているので、タバコ屋さんを見付けて買ってください。60分、90分、1日券、3日券などあります。
◆
私の「おとぎ話に出てきそうな幻想的なプラハ」の観光は、「室内弦楽コンサート」(シニア料金聴ける)と「カレル橋の30人の聖人」の見学だった。
プラハでは、室内コンサートを3回(それも、シニア料金)聴きに行った。
毎回、1時間、夜6時或は、夜8時からだった。
懐かしい音楽、日本的なフレーズ(タイトルが“新世界”1893年、ドボルザーク作/チェコ生まれ、1841~1904とも知らず)だな~と思いながら聴いていた。
それもスメタナの音楽ホール(ドボルザークとスメタナの関係も知らず)で演奏された。演奏中もスケッチをしていたが」、前の列の男の子が、じろじろ見るので途中で中止。
旅から帰って、ラジオから流れる新世界を聞くたびに、そのときのことが懐かしく思う
カレル橋は夜景と朝焼けと一日中、美しい景観を愉しめる
朝6時頃の景観“街灯と聖人が浮出してくる美しさ”
ガス燈の明るくも瀟洒な光に何か凛としたものを感じる。ガス燈の清廉なる灯りがしっくりくると思う/服部圭郎氏
お城、カレル橋にライトアップされえた景観は美しい
【その他の観光】
「ダンスをするビル」
建設当時、1995年、ヴルタヴァ川沿いに建つ、「ダンスをするビル」(二人の設計 ひとりのアメリカの建築家フランク・O・ゲーリー)は、専門家たちから批判されたが、すっかり環境に溶け込みプラハの観光名所になってなっている。ホテルとして利用されている。屋上は有料で見学できる。
「プラハの城壁」
城壁も素晴らしいディテールが見られる。ローマ人とは違ったディテールの城壁だ
山の傾斜地に築く城壁、笠木の煉瓦との複合
石積みの目地つぶし
「マラー・ストラナ地区」
プラハ城の城下町の街、ドイツ人とイタリア人によってつくられた街、さすがにイタリア的(ロマネスク様式、壁に開口部が少ない)な雰囲気がある。
【ひとり旅Ⅸ】 チェコ・スロバキアの旅 [60歳からのひとり旅]
【ひとり旅Ⅸ】プラハ、チェスキークロムロフ、プラチスラヴァ
はじめての中欧、暗いイメージで広場調査のにはなかったが、友人から“世界で一番美しい街がプラハ”と、聞いたからだった。そして、美しい街には、美しい広場があると思った。《60歳最後のひとり旅Ⅸ》は、中央ボヘミヤの中心都市、“ヨーロッパのヘソ”と呼ばれるプラハを中心に旅をした。プラハからの移動は電車とバス。チェコ、チェコの隣がドイツ、出来ればドイツにも立ち寄り一口ビールでもと思ったが、時間に余裕を持たせた旅ということで中止し、プラハでの滞在を大切にした。仕事の関係はというと、住宅は2月2日に引渡し終了、次のビルの用途変更の仕事がほぼ終わったタイミング。時間に余裕のある旅を計画できた。
『60歳からのひとり旅Ⅸ』
2019.4月4日~4月17日 14日間の旅
航空券と電車バス 100,000円+20,000円
宿泊費 110,000円
その他 食事等 70,000円 合計 300,000円
中欧は物価も安く、移動の交通費も思った以上に安かった。
〈航空券はHISで手配〉
前回通り、ネット検索し、HIS新宿店に行って予定を決める。プラハの直行便は無く、ポーランド経由でプラハに行く。初めてのポーランドの飛行機会社、LOTポーランド航空を利用。
〈旅行内容〉
4月4日~7日 成田を10時15分発、ポーランド経由でプラハに午後7時15分着。
4月7日~10日 プラハ午前10時に出発して、高速バスでチェスキー・クロムロフ午後1時頃
4月10日~13日 チェスキー・クロム午前7時20分に出発して、バスと電車で午後2時前にスロバキアのプラチスラヴァ着。
4月13日~16日 プラチスラヴァから電車でプラハ
4月17日 時間通りに 成田に午後2時に到着
<目的>
世界一美しい都市に行き、スケッチと広場を探すこと。
イタリア語、スペイン語と全く違う言語、少し殻にこもりがちになった。でも好きな広場は見付かり、そしてプラハのカレル橋とチェスキークルムロフの街のスケッチは楽しく、それが今回の収穫の旅だった。持参した本は「プラハを歩く/著者 田中充子」
「チェコ」 と「スロヴァキア」そして、ちょこっと、ウィーン
□
4月4日 自宅を朝5時25分に出て、成田に行く。プラハからホテルまでの交通費等を考え、チェコのお金コルナを1.2万円分(レート0.57)を両替。成田から午前10時15分発LOTポーランド航空に乗る。機内食も美味しく、それ以外にインスタントラーメンの「OYAKATA」味の素が美味しかった。ポーランドのフレディリック・ショパン国際空港に4月4日午後2時30分に到着。そして、3時間後、プラペラ機でプラハに午後7時30分頃到着、安全飛行操縦だ。
久しぶりのプロペラ機で、プラハに午後7時過ぎに着いた、もうすぐ日没。
飛行場から100番のバス、車内で切符を買って、バスと地下鉄を利用し、ホテルの近くの駅に行く。目的のホテルには、午後9時過ぎに到着。ここで、前払いだとか言われて、違和感を覚えて、“部屋を見ないと払えない”と話して部屋を見せてもらた。“お湯が出ない”、“電気がつかない”部屋を紹介された。“他の部屋は無い”とか言っていたが、粘って話をして、やっと部屋を変えてもらって一安心。その日はシャワーを浴びて、すぐに寝た。
【ひとり旅Ⅷ】最後のマドリード [60歳からのひとり旅]
【ひとり旅Ⅷ】最後のマドリード」
ひとり旅の愉しさ
最初の一日と最後の3日間
「マドリードの見学は美術館とスケッチ」
2018年5月30日~6月14日の中、一番長いマドリード滞在は、最初一日と帰国前の3日間、合計4日間。マドリードを拠点にして、11日はトレド、そして、12日はアビラの旅。
クマとイチゴノキの像は、13世紀以降、街の紋章
「マヨール広場での出来事」6月12日
広場は人工地盤、広場の下は駐車場。
広場にいると開放的になり、知らない人でも気軽に声をかけてしまうようだ。私は広場でスケッチしていた。私の近くで、折畳式の椅子に座ってスケッチをしていた人がいた。彼の絵を見ると、建築を知っている人が描くスケッチだった。彼が“私に、“何処から”と声を掛けてきた。“日本から”と答えると“僕は何人に見えるか?”と尋ねるので、“ペルーの人?”と言ったら、どうして‥。そして、同じ建築デザインの仕事をしているもの同志、スケッチを見せ合い、ひと時の会話。このようにたわいもない会話から、旅行が一層楽しくなる。そういう魅力が広場にある。
「最後の日のマドリード」
市内観光はともかく、今回も同様に“マヨール広場”と“美術館”。そして、行きつけのバールでの出会い。
マドリードでは、3年前に見付けた行きつけのバールが2軒ある。一軒のバール(ヘルツォーク&ド・ムーロン設計のCaixa Forumに隣接する)には、5回行った。今回は、ここのおやじさんとあいさつ程度に言葉を交わして、マヨール広場が良く見える椅子に座り、時を過ごすした。もう一軒のバールは、マヨール広場の近くにある。ここでは、ペルーのバイトの女の子と話を楽しんだ。そして、美術館は、ティッセン・ボルネミッサコレクション美術館には、3回とプラド美術館1回だけ入館。
「プラド美術館」
帰国当日、広場スケッチ、行きつけのバールで朝食後、プラド美術館に行った。午前10時から11時30分の1時間30分だけだった。とにかく広いので、歩き回るだけで40分かかってしまった。宗教画はどうも好きになれない。しかし、今回はここでしか感じられない鑑賞、今までとちょっと違うことが一つある。アンダルシア地方の空の美しさを心から美しい、絵画の通りだと思った。感慨深いものを感じたのも初めての経験だ。
そして、残りの30分は、知らない女性とのコミュニケーション。広いエントランスホールで休んでいると隣に美しい50歳代の女性が同じ大きなソファーに座っていた。誰かを待っているようだ。私達の前に10~20人の高校生のグループ、色んな言葉が聞こえてくる。英語、スペイン語、などなど。そして、隣の女性に、英語で”彼らはどこの国の学生でしょうか?”と尋ねた。彼女曰く“イギリス?”、それで、僕も分からないので、直接、若い学生の男性に聞いたら“アメリカ人”と言われた。そして、彼女に、“人種は分からないですね~”といって、お互いに笑った。“僕は日本人ですが、東洋人を見ても中国人か日本人か分かりません‥”など話した。そして、彼女に何処の人かと尋ねたら“デンマーク人”だと言われた。“僕の好きなパン屋のアンデルセンを知っていますか?‥姉妹店の日本のアンデルセンが好きです。”など話していると彼女の友人が来られ、お互い挨拶をして別れた。もう一つの好きな美術館に行った。
「ティッセン・ボルネミッサ美術館」
この美術館は好きで、行けば2~3時間は居る。今回は新しい画家を見つけた。キース・バン・ドンゲンの「Portrait of a woman with Cigarette」だ。煙草をくわえた、ピンク入りの唇には、非常な色っぽさが感じられて、何度もスケッチをした。
モディリア二の作品が好きだ。
ロートレックの男性
イヴェート・ギルベール/世紀末の歌手、ロートレックの作品は、最高に好きだ
絵の説明を聞いていた女性をスケッチした、全てが絵になる光景
実測しました、線の太さ15、額520角
そして、もう一軒の行きつけの喫茶店に行き、ミルク入りのコーヒー1.8ユーロを払って、別れた。5月31日の一回目の時、10日前は自動ドアの故障していた。“今は上手く動いているようですね?”と言って、お互い笑いながら別れた。ホテルに戻り重い旅行カバンを持って、バス停に急いだ。15時のバスで飛行場に行った。これが最後のスペイン旅行だ。