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【ひとり旅Ⅰ】 パース [60歳からのひとり旅]


【ひとり旅Ⅰ】パース

その後1829年、自由移民の入植地であるスワン川入植地の首府としてパースが建設された。1850年には安価な労働力を手に入れたい農家や実業家の要求によって、パースを含む西オーストラリアは流刑植民地となった。(ja.wikipedia.org/wiki/パース)同時に囚人を上回る数多くの移民達が新天地を求めて渡った。そうして、産業・貿易が進みイギリスから独立し、1901年オーストラリア連邦が誕生


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『今のパースの街を見て』


オーストラリアで一番大きな州、Western Australiaの州の人口約200万人の中、パースには約150万人が住む。シドニーに比べ、こじんまりとした分かりやすく住みやすい街。主要道路はスワン川(名前は原産のコクチョウによる)と並行し、川に下がって傾斜した地盤、格子状につくられた街並み構成には、様々な魅力を感じた。

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南側のスワン川に並行し4本の主要道路が走っている、距離は5.0km程度。川沿いには公園があり、立派な樹木(災害・病気対策)が残っている。


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大きな大陸を温厚な原住民のアボリジニ人などから略奪、世界用語の英語、造園、公園、レンガ造の建築など建築・都市計画の進んだ国柄のイギリスだったから、わずか200年足らずで現在のような美しい街並みが完成されたのだろう。海岸沿いの海運都市、内陸には計り知れない魅力のあるもの可能性を含んでいるのだろうと思う。ただ、原住民が浮浪者のごとく遊んでいる姿、人懐っこい彼らを見ると、反面これでよかったのだろうかとも思った。
(1860年写真/州立図書館で入手)


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 【ひとり旅Ⅰ】フリーマントル [60歳からのひとり旅]

Fremantleに行く
フリーマントル地図.jpgパースでの2日目はフリーマントルマーケットに行く。スワンベルタワーのそばから、2つの会社の船が行くことを確認。発着場の近くのカフェーショップで朝食をとった。シンガポールから来た若者が、アルバイトをしていた。彼はここの大学に通っているとのこと。ゆっくり、サンドイッチとコーヒーで朝食を。

早いのはRottnest島に行くCaptain Cook Cruises 便だった。帰りは電車を利用のため、片道切符購入。対岸にあるフリーマントルには所要時間60分。もう少しで次の島まで行くところだった。ここで降りたのは私一人だった。


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船上からボート乗り場を見る


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乗場のカモメの夫婦のワンショット



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船上から見る豪邸、マンション


【フリーマントル】

1829年、英国海軍の船長チャールズ・フリーマントルが到着、イギリス領を宣言。1831年、スターリングは西オーストラリア州総督。スワン川河口付近を「フリーマントル」と命名。定住地を設立し、パースと命名した。1850年、フリーマントルは正式な流刑地に指定され、大規模な刑務所が建設された。囚人船の受け入れは1868年まで続いた。 (フィキペディアより抜粋)
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駅前の光景


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駅前は雰囲気が良かったので写真を撮った


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マーケットの果物が安い


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革製品が安かった、ベルトを買ったが、帰りの飛行場で荷物検査の時紛失



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