【ひとり旅Ⅳ】 コインブラとナザレ [60歳からのひとり旅]
【ひとり旅Ⅳ】コインブラとナザレ
今日は2月4日、コインブラに泊まる。翌日にはナザレを観光して、オビドスのポザールに泊まる。そして、6日にリスボンに戻る。旅行ケースを6日から宿泊するホテルに預け、持物はリュックサックだけ。『コインブラの見学』
コインブラは、モンデゴ川を挟み下の街区と上の街区がある、人口は10万人程度だが、政治のリスボン、商業のポルトに次ぐ、教育・学業の街だ。現在もパリ、ボローニャー、サラマンカに並ぶ古い大学、1308年設立した大学がある。一方、商店街のある下の街区には、金平糖(1569年にポルトガルの宣教師が 織田信長に、贈った)の店(日本の観光客は行列して買ってい)、男子学生が「ファド」を歌う店もあり、愉しい街。リスボンからコインブラまで高速バスで行く。7時30分発に乗るため、6時30分にホテルを出た。前の電車が事故で、8時30分発になり、コインブラには、12時前高速バスターミナルに着いた。ターミナルは郊外にあるため、下の街区までは市内バスで行く。そして、上の街区にある民宿までは歩いて30分近くかかった。
ここが下の街のバス停、川を渡り上の街の方向に行く
郊外の街(下の街)の雰囲気、街路樹はオレンジの樹。
今回利用する民宿は、27ユーロ、共同シャワーの安い宿、上の街区の一番高いところにある。オレンジの街路樹を見ながら民宿に向かう途中で果物屋があった。お土産になると思い、イチゴとオレンジを買った。
果物は安い
何度も民宿の場所を尋ねながら、急な坂を上り、息を切らせながら、やっと到着。民宿のおばさんには、タクシーで来ればいいのにと言われたが、倹約だ。
このゲートから登って行く。スーツケースが無いから良いが・・・
まだ先、この階段を上る。途中オーダーメイドの帽子屋があった。
この階段はきつい、今73歳なら登れないだろう。若くてよかった。
1泊27ユーロ、共同シャワーの部屋です。学生の頃利用したホテルは、こんな程度。
宿の女主人から観光ルートを教えてもらい<観光スタート。コインブラは本当に大学の街だ。美術館の中にきれいなセルフサービスのレストランでスケッチをしながら、ゆっくり食事をした。
途中で雨が降り出した。
セルフサービス定食7ユーロ、ジュースを飲んだので8ユーロだった
コインブラ旧大学のスケッチ
前方に見えるコインブラ旧大学
食後雨の中を、旧大学に行く。蔵書30万冊の図書室を見学した。
校舎の中
ロマネスク風の中庭
民宿に戻る途中、1530年に建てられた教会を利用したカフェー“サンタ・クルス”で午後7時頃までお茶をした。
そして、登坂の途中で見つけたレストランで食事11ユーロぐらいだった。
盛り付けは今一だけれど美味しかった。
食後、迷いながら民宿に辿り着く。途中、本格的な雨に見舞われ、ズボン、靴とビッショリ、夜中にヒーターにあてたり、ドライヤー、マットの下とかに干しながらやっと乾いた。翌日、小雨の中、7時頃から8時30分まで市内観光をした。
まだ暗い、面白そうな広場を見つけた。
残念ながらスケッチの時間がなく、一度ホテルに戻り、朝食を済ませた。そして、長い坂道を歩いてバス停に向かった。
朝食のサロン
民宿のベランダから見るコインブラの街、ここが如何に高いか分かる
9時発のナザレ方向行きのバスに乗るために急いでバスターミナルまで行く。バスの発車が遅れた。待っている間、スコットランドの学生二人ずれに会う。雨に慣れ、変わった服装をしていたのでスケッチをした。見せたら上手いと言われ、スケッチを写真に撮りたいと言われた。バスの中で、英会話の勉強のつもりで話しかけてイチゴを上げた。
バスの切符売り窓口
スコットランドの2人の学生
【ひとり旅Ⅳ】 シントラとエヴォラの旅 [60歳からのひとり旅]
【ひとり旅Ⅳ】シントラとエヴォラ
旅の2日目の日曜日晴れ,日帰りの旅。手持ちは54ユーロ、今日はこれで大丈夫だと思った。
まだ外は暗いが朝7時にホテルをスタート。目的のリスボンの広場を1時間ばかり実測し、シントラ行き電車が出るロシオ駅に行った。1階には広いスタバ(正面右側の3つの出入口分)があった。
ポルトガルのコーヒー1杯が0.6ユーロ、スタバは2ユーロ高いな~と思いながら、長いエスカレーターで2階にある駅、改札口に行くが、窓口は締まっていた。自動切符販売機はあるが、使い方が分からない。近くのおばさんと駅員らしき人に尋ねてやっと往復切符を買った。そして、発車時刻まで時間があるので駅中のスタンドでコーヒーとパンを食べた。
「シントラ見学」
シントラは、首都リスボンの西に位置し大西洋が望める山間の街。この地はポルトガルの王家に愛された避暑地「シリーズ世界遺産100」では、シントラに建てられた二つの宮殿(ぺーナ宮殿と王宮)が紹介されている。ひとつは14世紀に築かれた王宮、16世紀ポルトガルの黄金期の王マヌエル1世により豪華に改築。マヌエル1世はヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の決断したり、多くの事が決断された重要な場所。ぺーナ宮殿は、王宮建設から300年後、大航海時代は既に去りポルトガル王家の輝きも失われた19世紀に建てられた。国王フェルナンド2世は、おとぎ話に出てくるような宮殿つくりに生涯を捧げた。王の権力は1908年頃から、王国としてのポルトガルは終焉を迎えた。(NHKシリーズ世界遺産100より)
シントラ行きの電車で、アムスで知り合った2人の学生にあった。彼らとリスボンの情報交換をした。そして、40分ほどでシントラに着く。まずぺーナ宮殿方向のバスに乗ることにした。バス停で上海で働く日本人夫婦と知り会い、意気投合し楽しかった。また、スペインのマドリードの夫婦とも知り会ったり、それなりに観光ムードのこころよさだ。
『ぺーナ宮殿』
『ぺーナ宮殿』は岩盤の上に建つ
前に歩くのがマドリード生まれの50歳代のスペイン人夫婦
おとぎの国のお城のようだが、武骨さが好きでない、ドイツ様式だろうか?
正面にゲートが見える
急に観光客で賑わいはじめた
色んな建築様式が乱れ、色使いも美しさは半減
ペーナ宮殿の食堂
ぺーナ宮殿サロン
サロンの入口の柱
ドイツ的、繊細さの無いぺーナ宮殿中庭
周辺は山並みは美しい
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ぺナ宮殿から王宮までバスで行く。
『王宮』
2つの塔の形が変?台所の換気塔
離宮のサロン
台所に行く通路
16世紀に改築された厨房部分の2棟の円錐の形には、興味が魅かれた。
◆
手持ちユーロの話になるが、王宮見学後5ユーロしかなく、王宮から歩いてシントラの駅に行った。往復切符なのでリスボンまでは帰れた。今日も夕食なしだ。お金の無いのは慣れているが、海外で手持ち金が無いのは結構さびしい。午後2時頃リスボンに戻る。旅行は残り、7~8日間、明日は6万円を両替することにした。