SSブログ

豆大福の「群林堂」 [食べること]

 豆大福 『群林堂』

「居酒屋もへじ2」水谷豊演じる米本平次が営む居酒屋を舞台に、他人同士が家族以上の絆で結ばれる物語。

護国寺の近くに住む若尾文子がもへじに手土産に持ってきた“豆大福” 、派手な紙袋から、10個ぐらい入った箱を取り出し、そして、大福の好きな子供たちが豆大福をとったとき、もちの伸び、新鮮さを感じた。また大福のグロテスク、素朴さがテレビから伝わった。青色の紙袋に大きく書かれた群林堂の文字からネットで直ぐに所在が分かった。

豆大福1.JPG



<群林堂>は、有楽町線の護国寺5番出口からすぐのところにある。午前11時頃、3人並んでいた。店の中は狭い、前の人は箱詰めでたくさん買っていたが、私は妻と友達にと4個買った、640円だった(友達に渡すことを忘れて、自分達が食べた)。私の後ろに待っている人がいたが、“テレビを見て買いに来ました”、と言ったらご主人が“3か月前にテレビ局の人が買いに来て、3度買いに来ましたよ。”また“豆大福は結構手間がかかっているからね。” とも言った。そして、“あの青色の紙袋は局の人たちが作った”とのことだった。

豆大福2.JPG


さて味は、写真で見るようにグロテスク。大きく見えるが、直径5㎝、食べてみると大きくなく手頃の大きさ、豆がたくさん入っていておいしい。

妻は、食べる前は1個と言いながら、2つを食べて、食べた後胸焼けがすると言っている。いつものことだから、控えればいいのにと思う。僕は後で2つ目を食べた。少し乾燥していた。この年になると一つで良い。番組では子供たちは2つ持って行ってたなー。

つぶあんと黒豆入りのもちとのバランスが良く、素朴な味、おいしかった。
ネットで評価を見たら3.98とか4とかで、非常に評価は高い。
お土産には喜ばれる一品と思った。

続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

リスボン エッグタルトの味の比較 [食べること]

最後のリスボン旅行 エッグタルト
ポルトガルと言えば、エッグタルト。卓球部の合宿で無理やりに飲まされたが体質的にアルコールが飲めなかった。残念ながら、私にとっては甘いものしか駄目なようです。人生を半分損をしているかも、、甘いものが好きです。結構こだわりはあります。今回のポルトガル旅行のひとつの目的は、海を見ながらいわしを食べることとエッグタルトを食べることでした。しかし、有名店の「パスティシュ・デ・ベレン」はすごい行列、並んでまでとは思い、ヨーロッパチャンピオン連続優勝した店を探して、二店舗を比較した次第です。まずはエッグタルトの一口メモと歴史を少し。

ポルトガルのお菓子は全体的に日本のお菓子より糖分が強め。その分、コーヒーのつもりで「カフェ」を頼むと苦いエスプレッソが出てきます。あまーいエッグタルトと、にがーいエスプレッソのバランスが丁度良し。

エッグタルト.jpg
まずはだれでもご存じなのは、パスティシュ・デ・ベレン


ポルトガルのベーカリーやスイーツの店には必ずエッグタルト「パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)」が並んでいます。パリパリのパイ生地に濃厚なカスタードクリームがたっぷり入った「パステル・デ・ナタ」は、ポルトガル人が心から愛する国民的お菓子! そのお菓子が誕生したのはリスボン西部・ベレン地区にある「ジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)」の厨房でした。
「修道士の生活」

外部の世界と隔絶された生活を送っていた修道士や修道女の唯一の楽しみは、厨房で作るお菓子。ジュロニモス修道院の厨房でこっそりと作られていたお菓子が日の目を見るのは、意外なことに歴史の波によるものでした。1820年、ポルトガルで自由主義革命が起こり、現在では世界遺産になっているジュロニモス修道院は閉鎖され、多くの修道士・修道女たちが追放されてしまいます。そんな彼らが生きていくために売ったものこそ、修道院の中でひっそりと作られていたお菓子「パステル・デ・ナタ」。後のエッグタルトです。この味がリスボンっ子を魅了し、大人気になり、ポルトガル中に評判が広がっていきます。(ウイキペディアより)

パステル・デ・ナタ(エッグタルト)の2店舗の味比較
粉砂糖とシナモンパウダーはお店の人に聞かれてかけるかどうか決めます。結構大きさが違います。市街地から結構離れていました、電車に乗って探したお店です。美味しかったです。
比較3.JPG

nice!(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

どら焼き 「うさぎや」 [食べること]

上野ウサギやJPG.JPG


【どら焼きが好き】
「居酒屋もれいじ2」放映の翌日に、どら焼きの四谷三丁目の『うさぎや』に行った。テレビを見て買いに来ました と言ったら見てないとのこで、どんな場面で出てきたのか説明してあげた。

相棒でお馴染みの水谷豊(61)主演で、8月5日に放送「居酒屋もへじ2」を見た。同作は昨年4月の放送以来、約1年4カ月ぶりの続編。水谷演じる米本平次が営む居酒屋を舞台にした物語。 若尾文子がもへじに手土産に持っていた“豆大福”と彼の姉役の奈良岡朋子に持って行ったうさぎの絵の“どら焼き”がどこのものか物語よりも気になってネットで店の住所を調べた。

四谷三丁目の「うさぎや」

うさぎやのどら焼きの味は、第一印象は生地がふっくらとしている。あんこは自然な味、添加物が入っていないような自然な味がして美味しい。でも、生地が少し厚い。和匠 高円 三鷹店お店の方が好きだ(2015年5月破産)。かならずデパートでなく直にお店に行くこと。保存剤が入ると味は全く違ってくる。

うさぎやさんは、兄弟3人でそれぞれ違う味でお店(他は阿佐ヶ谷、日本橋)、三店舗ある。一番人気なのが、アンケートによると“上野のうさぎや”。以前は羊羹だったが、最近は最中とどら焼きがメインだそうだ。でも、どら焼きが一番売れているとのこと。四谷三丁目の「うさぎや」のご主人は落語が好きな感じの良い二代目だ


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

最中比較 小ざさ 空也 [食べること]

『最中 小ざさと空也』

急に甘いものを食べたくなることがある。昔はこんなことはなかった。歳のせいだろうか?

日比谷通り沿いに、設計監理している建物がある。打合せ後、急に甘いものが食べたくなった。

最近知り合った、関西から嫁に来て50~60年になるタバコ屋の女性に“近くに美味しいぜんざいとか、甘味屋さんがないですか?”と尋ねたら“この近くにはないですね。”の一言。ネットで、調べて“【空也】はどうですか?”と尋ねたら“アクセントを注意されたが、“そこは、最中が美味しいですよ。”とのこと。でも、近くに「切腹最中」の新正堂は?と一瞬思ったが。

銀座六丁目にある【空也】、銀座はここから近いので歩いて行くことにした。店を探して、びっくり!

小さな店、そして、品物はない。全て、予約、一週間後でないと品物が無い。そして、つぶの黒餡の一種類しかない(ブログを見るとその他いくつかの品物はあるようだ)。10日後、ひと箱10個の単位、10個以上だそうだ。ということで、びっくりしたので、ブログに残すことにした。

空也店2.JPG最中4.JPG














【小ざさ】【空也】の比較

ポルトガルのリスボンでの 《エッグタルト》を思い出した。


共通していることは、“食品添加剤、着色剤は一切使っていない”ことと、カード扱いしないこと(私には痛い)。そして、店の対応はどちらの店も丁寧だ。
そして、賞味期間もお買い上げ日より一週間とのこと。硬くなった最中は、おしるこにして、アドバイスもここに記載しておこう。

続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

パリの広場とパン [建物と街散歩]

【サン・カテリーヌ広場】
フランスパンの似合う広場


パリの一日

リヴォリ通り沿いにある、美味しいパン屋「ミス・マノン(Miss Manon」がある。いつ行っても、行列のお店。
misu.jpg
朝6時30分に開店,店に入る。笑顔の似合う小柄でふっくらした、おばさんが一人働いていた。7時近くになって2人の若い女の子が来た。7時30分頃、街並にやっと薄明かりが差す。コーヒーを飲み、今日の一日のスケジュールをたてる。そして、長いフランスパン、バゲットを買って、【サン・カテリーヌ広場】でパンをかじりながら、実測、スケッチをしながら、ときを過ごす。それから、Vosges公園に行くのが、散策コース

公園に行く途中に、大きな本屋さん(ここで、孫の本を買った)がある。

立ち寄り、パリの歴史の本をパラパラと見る。そして、公園に行く。

パリに来たなーという感じだ。



【サン・カテリーヌ広場】の調査


Rivoli 通りから30mほど中に入った場所にある静かな広場。広場0.JPG



パリ広場11.jpg



広場001.jpg

8m程の裏通り広場に入る、正面にリヴォリ通りが見える


広場32.JPG



広場5.JPG



パリ広場1.jpg

サン・カテリーヌ広場は、街路に囲まれた広場、23m×19m。
樹木、緑色のベンチ、街灯、車止め、ゴミ入れがある。



周辺の街路幅、7.7~8mあり、それを含めてもも31m×37mの小さな広場。
周辺の建物の高さは15m。高さと幅の比率は1/2よりも少ない。それだけに広さを感じる。そして、こじんまりとした広さ、圧迫な感じはない。この比率が良いのかなとも思う。
5~8人もベンチに座っているといっぱい。
広場4.JPG


広場3.JPG


パリ広場12.jpg


広場を囲む8mの街路には、簡易のお店奥行き2.7mが場所を占めている。
ランチタイムを利用して、ランチメニューを食べた。
東から光が射すお店が、混んでいる。
広場33.JPG


広場34.JPG

広場から裏通りを見る



銀座・伊東屋で神山ますみの個展「巴里の記憶」

2019/2/20(水)~28(木)

サンカトリーヌ広場パリjpg.jpg


能勢氏の誕生日祝いに出席するには、まだ時間があった。久しぶりに銀座に出た。
そして、伊東屋に行った。偶然に私の好きな広場“サン・カテリーヌ広場”の絵画を見つけた。

こんな風にも表現できるのだと、愉しくなった。傍にそれらしい人神山ますみさんに話しかけた。

“この広場で、近くの美味しいパン屋でパン/クロワッサン、バケットを買って食べるが好きでした”

彼女も、この広場が好きとのこと、束の間の会話であったが、一瞬サンカトリーヌ広場に居るようだった。また行きたくなった。


nice!(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

武蔵境駅前の7つのコーヒーショップ [建物と街散歩]

 『武蔵境駅前のCoffee Shop』

(2013年,2015年,2023年そして2024年3月)

世界のどこを訪れてもCoffee は、街を知ること、人を観察ための最高の場所だ。世界旅行は楽しい。2000年はチェコ、そして3年ぶりにタイ旅行をした。https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2023-12-08


「一日の愉しみは、一杯のコーヒー」

私が50年前、半世紀前か、イタリアに行き、最初のカルチャーショックがエスプレッソコーヒー。気軽に飲み、さっと帰っていく姿には、驚いた。Coffeeには、ひとり、ひとりの人柄、人生が見えるようで、コーヒーショップに居るのは楽しい。
コーヒー効用

大腸がんは男女ともに2番目に多いがんですが、早期の治療により高い確率で完全に治癒するため、早期発見だけでなくがんが治った後の再発予防も重要視されています。コーヒーをよく飲む人は、大腸がんの再発リスクが有意に低くなるとの研究結果が報告されました。

さて武蔵境駅前にある、コーヒーショップの話をしよう。武蔵境駅は学生若者が目立ち、近くに図書館があり、活気ある駅前だ。現在は6から7店舗のコーヒーショップがあり、何処の店も賑わっている。

「駅前の7店舗のCoffee Shop」

駅前には、コーヒーショップが7店舗ある。それだけでもすごい。まず、南側にあるエクセルシオールカフェ 、スタバ、上島珈琲そして、ヨーカ堂の中にあるドトールと北口にあるドトール、ハートブラウン、タリーズの7店舗。

私は武蔵境に建築事務所を持ってから34年になる。今もスタバには、昔は毎日だったが、今は2日に1度のペースで通っている。スタバには、いつもタンブラーを持って行く(20円安くなる)、コーヒーはスモールサイズ。スモールサイズは日本しかない。スタバはワンモア―コーヒのサービスがあるので、二杯飲むと他の店よりも一杯の単価は安くなる。コーヒーはイタリア人の場合は、一日3~5杯飲むから、コーヒーは日常に溶け込んでいるのだろう。日本も何年間後にはそうなるだろう。


「それぞれのCoffee Shopに違った人生を感じる」

どこのCoffee Shopにも、違った人生がある。というのか、階層…性別、年齢、職種、毎日が日曜日の人を含めて、様々な人が出入りしている。最近が仕事の場に利用する人が増えた。各お店のインテリは、以前のような個性がなくなった。
例えば、1999年設立エクセルシオールは、ホテルと併用になっているので、泊り客の利用が目立つ。ドトールは、どうも私には落ち着かない雰囲気、同じ系列会社の上島珈琲は高めだが、ドトールよりは美味しいと思う。椅子はゆったりした感じはしないが、ブースタイプを中心にレイアウト、音楽はジャズが流れて、落ち着いた雰囲気だ。結構利用者が増えた。店によって価格も雰囲気も違う

そして、スターバックス。アメリカ的な、おおらかな雰囲気が好きだ。
追記 2023年、昨年からだろうか、店長が大柄な女性に変わった。彼女はほとんど店に顔を出さない。まあ彼女の方針だろう。こちらから見るとスタッフの笑顔が少なくなった。年寄り、ハンディのある人に対して気配りも昔ほどよくはない。挨拶も徹底されていない。勉強コーナーは別にしていたが、今は気に留めていないようだ。でもお客は入るので良いのだろうか?
店長も勉強はしているようだが、オープン当時のような雰囲気ではないのが寂しい。

武蔵境には色んなタイプのコーヒーショップが駅前にあるから良い。


続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【60歳からのひとり旅】を振り返る [60歳からのひとり旅]

今年,73歳になって【60歳からのひとり旅】を振り返る
誕生日、年に一度のプレゼント、海外で迎えるひとり旅


2010年2月60歳になり、矢の如く過ぎていく日々を思い、『時の大切さ』を感じた。これから先、何か心にのこるプレゼント、唯一の趣味の整理、贅沢とは思いながらも【60歳からのひとり旅】を計画した。最初のひとり旅は61歳になったとき。初回の海外での誕生日は、友人の娘さんが住んでいるオーストラリアからはじめた。それからすでに13年が過ぎた。

この13年間、本当に色んなことがあった。設計監理の契約を解約、ハウスメーカーの介入など様々な不幸なことが多々あった。そして、当然妻の理解・許し・諦めがあったから出来たひとり旅だ。目的の誕生日祝いを実行出来たのは、2011年、2014年、2015年の3度(1週間違いの2016年を入れるなら4回になる)だけだった。また、2013年は実施設計の追込みの仕事の関係で海外旅行には、出かけられなかった。そして、2020年最後にイタリア旅行を計画したが、コロナ発生、入院、仕事とで、海外旅行は出来なかった。3年後の2023年のタイ旅行を【60歳からのひとり旅Ⅹ】とした。これで孫2人にも話せる自慢話が出来る。

【60歳からのひとり旅】

2011年 オーストラリア2月     ひとり旅Ⅰ
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2013-02-25-10    
2011年 香港9月          ひとり旅Ⅱ       
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2013-02-25-5
2012年 スペイン/イタリア12月  ひとり旅Ⅲ
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2022-03-26-8             
2013年 追込み仕事の関係で、出来なかった。
2014年 ポルトガル/イタリア2月 ひとり旅Ⅳ
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2013-12-24
2015年 パリ2月         ひとり旅Ⅴ
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2015-02-10
2016年 スペイン1月       ひとり旅Ⅵ
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2015-11-03
2017年 スペイン/ポルトガル7月 ひとり旅Ⅶ 
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2017-07-10-1        
2018年 スペイン 5月      ひとり旅Ⅷ
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2018-04-21-1
2019年 チェコ/スロバキア 4月  ひとり旅Ⅸ
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2019-03-22
2020年~2022年 コロナ・入院 で旅行不可
2023年 タイ・チェンマイ 4月  ひとり旅Ⅹ
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2023-05-01

ほとんどが、スペインとイタリア。その訳は、旅の目的が、誕生日祝いを海外で迎えること。そのプレゼント箱の中身は、23歳頃から勉強・調査をしている『広場見学』だ。造られた広場でなく自然発生した広場、つまり歴史を持つ国、その歴史の中から必要にして生まれた広場、現在なお日常生活に生き続けている広場がある国は、「イタリア」と「スペイン」と「フランス」と「ポルトガル」と思う。

56歳の時に父、60歳の時に母が他界。郷里の唯一の親友、どんなことでも話し合える友、励ましてくれる友であり、相談のできる友であり、悩み事を聞いてくれる友の池尻君が逝った。僕のゆとりの心の支えが無くなった。ただ仕事、悩み、人生の苦労をしてきたと言うだけの人生では寂しい。また60歳を過ぎると一層に色んな出来事がある年齢だと思い、何か自分に楽しい思い出を残したく、このひとり旅行を続けた。

続きを読む


nice!(0) 
共通テーマ:旅行

イタリア好き 井口勝文ご夫婦に CinCin [歳とること]

【イタリアの小さな街 暮らしと風景 メルカテッロ】の3刷りおめでとうございます。

30歳代に人生の目的に向かって懸命に生きた様子がよく分かりました。若者はこうでないとと思います。今思うと、自分もよくここまで走って来たな、妻に感謝している日々です。

久しぶりの井口氏(1941年生れ)からの2023年の年賀はがきで、この書籍を知り楽しく読んだ。30歳代からのイタリアに住みたい気持ちが実現し、60歳代からの人生の半分を御夫婦でこの地に住むという気持ちがよく分かりました。私も73歳、彼とは9つ違い。人生は『光陰矢の如し』とはよく言ったものだ。70歳を過ぎ本当に納得、腑に落ちたというのだろうか。

私は2023年11月9日より時間が出来、経済的余裕は全くない中で、60歳代のまとめのつもりで『60歳からのひとり旅Ⅰ~Ⅹ』https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2023-12-08を整理した。そして今は20歳代からの『イタリアの広場』をまとめている。早くしないといつお声がかかるかも分からないので、頑張っている日々を送っている。

nice!(1) 
共通テーマ:

【ひとり旅Ⅴ】 パリ 一口メモ [60歳からのひとり旅]

《60歳からのひとり旅 パリ》



パリイメージ地図.jpg



パリの歴史散歩 「メトロにのって」 著者 ロラン・ドゥッチ 訳 高井道夫
この本には、魅力的な言葉がたくさん載っている。その一部をメモしておこう。


シテ島から旅をはじめる。揺りかごの形をした島
「シテ島にはパリの頭脳とこころ、そして心臓がある」

シテ駅はセーヌ川の水面下20M、パリの胎内の奥深いところにある。

セーヌ川の由来は、女神セカーナ

パリという名の発祥は、パリソールム
ローマ人が住む上ルテティア、シテ島にはガリア人、下ルテティアはパリソールム(パリシィ人の街)と呼ばれた。彼らは川のめぐみで生計をたてていた。

ローマ帝国がパリの基礎を築いた

パリは、港町?
魚屋さんが多いのも、そうなんだ。

ローマ帝国が誕生してから70年後の紀元前52年、シテ島はただの沼地

シテ島からイタリア広場を通り、ローマに通じる街道がつくられた

南からのローマ人はセーヌの川左岸を植民地として開発、北方からのフランク族は、右岸に街をひろげた。
ルーブル美術館は、フランク人の砦そして、宮殿となり今の美術館の経緯

この都市の黄金時代には、シテ島には凡そ1万人が住み、街はセーヌ川の左岸まで、伸長した左岸には街はなかった。






nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

イタリア旅行の旅の本 [学ぶこと]

イタリア旅行のための一冊の本


 
イタリア旅行にはお供の本を持って、ローマ見学
イタリアのローマを見学するなら“地球の歩き方”でなく、「石鍋真澄著/サン・ピエートロが立つかぎり」を持っていくことをお薦めします。

この本の中で“ヴェネツィアは何も知らなくても訪れるものを楽しませてくれる、フィレンツェは美術を見る目さえあれば、いくらでも滞在できる。しかし、ローマを楽しむためには歴史の知識が少々必要である。”と書かれている。難しい歴史でなく愉しく読める歴史の本です。

sanpietoro.jpg







これからの「あらたな旅」は歴史、文化、生活様式を体感し、新たな自分を発見すること。金の豊かさでなく「心の豊かさ」を身につけて自分の財産にしよう。

続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行