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漢字を考えさせられた [私の読書]

 日経新聞 夕刊20180703 「プロムナード」
【3本足の役割】
 

広瀬浩二郎(文化人類学者)


広瀬さんの“独り言” が、昨日から6カ月間、プロムナードにのる。楽しみだ。
彼は野球が好きだそうだ。年に数回は
「感戦」
するとか‥

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 『旅にゆくえ』 『名画の土壌』 『歌に詠まれる絵』 画家の世界 [私の読書]

日経新聞 『旅にゆくえ』『名画の土壌』『歌に詠まれる絵』から
【画家の人生】


「葛飾北斎」 洋画家 久野和洋

江戸時代後期の浮世絵師として活躍した葛飾北斎は、日本人画家として最も広く世界に知られた天才画人である。90歳の天寿を全うした北斎。

晩年の北斎が自ら書き残した文に「自分は6歳から物の形を写す癖があった。50歳から多数絵図を描いてきたが、70歳までの物は取るに足らず。73歳でやや生き物や植物のことが分かり、さらに研鑽し、90歳で奥義をきわめ、100歳で神の域、それを越えて描く一点一画はまさに生きているものであろう。長生きの人は私の言葉が妄言でないことどうか見届けてほしい」高名ながら生活は質素で、なぜか狭い借家を生涯生涯で93回も転居した変人。諸国を旅し、絵を描くことのみに生きた画人。


「ジャコメッティ」   洋画家 久野和洋

スイスに生まれたジャコメッティは、ジュネーブの工芸学校で彫刻を学んだ。パリで芸術活動を始める前、20歳の時にイタリアに約1年滞在し、ヴェネティアやローマを旅した。その間、チマブーエやジョットの絵画、中世のモザイク画、エトルリアの古代彫刻などを見て感動したと言う。新たな表現を求め、国境を超え、様々な時代の美を旅して自分の目を養い、独創的な表現を獲得した。
「自分が見ているもの、それに達する表現は難しい。いくらとらえても逃げてしまう」。画家・彫刻家のジャコメッティは、パリのカフェで友人の哲学者、矢内原伊作にそう語っている。
細長く凝縮された形の人物直立像が多い。

人間存在の真実追求「ジャコメッティ展」六本木の国立新美術館で9月4日まで



 「コロー」  洋画家 久野和洋

光と影についての鋭敏感覚と揺るぎない画面構成。そこに古典的で新しいコローの作品の特質がある。

家業の卸売商を継ぐのを断念、画家となる決意をし、本格的に絵画の修業をするためにパリからイタリアに旅立ったのが29歳のとき。ローマを拠点に約3年間、フィレンツェのほかイタリア各地を訪れ、多くを学んだ。
「自然に回帰することに飽きてはならない。自然を軽視すれば、二度と友でいてくれなくなる。自然は嫉妬深い恋人である」
巨匠ドロクロワは、「現代風景画の父」と高く評価した。
さらに、ゴッホ、セザンヌも影響を受けた。信義に厚く、人情家でもあったコローは、仲間からも尊敬され、愛された。1875年、独身のまま78歳で死去した。

「ゴッホ」   歌人 梅内 美華子

ゴッホの代表作の中で「ひまわり」は光、「糸杉」は闇と言われる。糸杉は、南仏アルルの地で精神に破綻をきたしたあとのゴッホの心の状態を映している。敬愛したゴーギャンとの共同生活は二カ月で終わり、自ら左耳を切り取った。アルル郊外のサン・レミにある療養所に入院中に糸杉は描かれた。

「ティツィアーノ」  歌人 水原 紫苑

この『ウルビーノのヴィーナス』ほど華麗で官能的な絵はまれだろう。挑発的な視線をこちらに向けるヴィーナスの脚の向こうに、貞節の象徴と言われる、小さな犬が眠った形をしている。だがよく見ると犬は薄目を開けてちらちらご主人様を見ているようだ。

「タナー」   洋画家 奥西賀男

タナーは理髪師の父の下、ロンドンに生まれた。母の病に苦しめられながらも、画家を志した。写真の無かった時代、画家は理髪師や大工と同じ職人であった。
海や船に興味を持ち、水のあるところを好んだ。当時流行の肖像画はあまり描かなかった。
秘密主義、住所は明かさず偽名を使うなど謎めいたところがあった。
天性の才能と頑固な反骨心によって、英国の最高の巨匠となった。
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アルベルト・ジャコメッティ 2 [私の読書]

新聞からの切り抜きで
「56年、哲学者・矢内原伊作氏が帰国直前にジャコメッティのモデルを務めることになり、その後4度渡仏して、のべ230日ほどポーズをとり続けた。」

これが気になり、武蔵境の図書館から三冊の本を借りた。
「矢内原伊作 ジャコメッティ」

「アルバム∥ジャコメッティ」
「見る人」ジャコメッティと矢内原 宇佐見英治著


彼の作品は、イギリスのオークションで有名なサザビーズ・ロンドンで、2010年に『歩く男』1947年作、177.5cmのものが、91億円で売買された。

哲学者・矢内原伊作氏が、アルベルト・ジャコメッティのモデルになったか、その理由が「アルバム∥ジャコメッティ」の中に、武田昭彦氏の解説文に書かれていた。

矢内原伊作氏は、1954年~1956年パリに留学した。“ジャコメッティは前から会いたいと思っていた芸術家の一人だった。しかし有名人を用もないのに訪れてゆくことを僕は好まない” “十月末のある午後、、一つの画廊のガラス戸越しに、‥ジャコメッティの一枚の絵があるのが眼にとまった。‥画廊を通じて、手紙を送る。1週間ほどして、ジャコメッティから返事”その後、何度か会う。“10月4日、世話になったジャコメッティに帰国前の挨拶にとアトリエを訪ねる。そのとき、「うまく行くかどうかわからないが、明後日夕食に行く前に1時間くらい君の顔のデッサンをしよう」と言う。
10月6日、ジャコメッティは、はじめて矢内原をデッサンする。最初の一枚は30分で出来上がる。ジャコメッティは「美しい、すごい、すばらしい」などと嘆声を上げ、「こんな風にデッサンするのははじめてだ、どうしていいか分からない、しかし何とかなるだろう。もう1枚やってみようと」と言う。”この描写は、矢内原氏が書いた【矢内原伊作 ジャコメッティ】を読んでほしい。芸術家ジャコメッティと矢内原氏との苦闘が、生のような描写が読み取れる。

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もうひとつの空 有元利夫 [私の読書]

『もうひとつの空-日記と素描 有元利夫』
1946年に生まれ、“「星月夜」と題されたその絵は、糸杉のうねりに星がうずまいている深い青と黄色の単純で強烈な色彩と平面性の強い明確な画面で、小学生の僕をとりこにしました。”小学生でゴッホに夢中、1976年4月画家を志した日から1984年の10月21日(日)までの日記が書かれている。今日13.11.01、この本を読み終えた。
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有元利夫の短い人生、1946年から1985年2月までの38年間の人生、こころの移り変わりを知りたくて読んだ。


1976年4月11日(日)30歳
明日12日 会社を正式にやめて11日、芸大の講師になるか、無職に絵描きになるか決まる。5年先にはどうありたいか、という視点で、今を過ごしたい。

1979年1月2日安井賞特別賞受賞後
勉強を忘れずに、貧欲に力をつけよう。今年は33歳になる年だ。40歳まであと7年。35歳までに何か出来るかどうか!良い作品を造りたい。良い仕事をしたい。

6月12日良い絵を描くためには色々なことが必要だと思う。最も大切なことは、気ままな、勝手な時間をたくさん持つ事と思う。

1983年3月23日(木)
ムンクは、イメージや感覚に図像を与えた。人は始め、強いドラマ性にひかれる。が、それを本来的に強めるのは、色や型であることに気付く。そのうち、内にあるドラマや創造性は弱まり、色や形の強さが残る。

7月22日(金)腹を決めて、点数などどうでもいいから、こわせるだけこわして、徹底的にやりぬいた作品を造ろう。文句を言わせない作品!!
7月29日(水)
…ぼんやりとした大きなイメージは強いのだけれど、今日、今、何がしたいのか、どう描きたいのか判らない。こんな絵が描きたいというイメージがもう一つはっきりして来ない。…

この7月頃から体に異変が起きたのか、彼には残りに人生は分からない、彼の言葉にだんだんいら立ちと激しさが感じられる。

『見え隠れの美しさ』
見え隠れという言葉があるが、それは見え隠れの美しさである。ボディラインが見えるようでいて見えない。感じさせないようでいて感じさせる。計算された服がその美しさをつくり出すのである。そんな服を選びとるのもまた賢い人の分別なのだろう。

12月5日(月)
37歳になってからの二カ月余り、単純な描く意欲がフツフツしてくれないようだ。…不信、不安、だけが渦巻いてしまっている。自分を内側からつき動かしてくれるような(たとえそれが無知によるものであれ)強い意志、志向、好み、望みの不足!!
感性を洗ってみずみずしくしなければ、いろんな物、事、に本当の興味を持たないと。

1984年1月1日(日)37歳ベットが空きしだい正月早々入院である。…

4月12日(木)行きづまり、落ち込んでいた状態からなんとか抜け出した。…初めて、自分が少し判ったような気もする。自分の分までしか描けないし、本質的に楽しくないことは出来ない。出来る事の中できびしさを失わない事だ。他のものと比べてもしょうがない。うらやんでも、それが、自分なのだ。これはあきらめでない。自信を込めた満足感なのだ。

1984年10月21日(日)
展覧会も一応今回で一くぎり。これからは少しじっくり、仕事をしよう。展覧のためとか、何のためという気持をさっぱりとり払った所で仕事をしよう。…体調の方はハッキリしない。胆のうに何かあるのかも…。ここ一月ぐらい数値が上がりぎみで…。ここで、ゆっくりでもいいから、仕事がしたい。五年をひとくぎりにして二回、十年やれればある程度の作品を作れるのでは、などと言うきたいを持っている。

1985年、38歳、2月24日に他界


有元利夫さんは、本人が顔に似合わず「朝はバロック」バロック音楽が好き。
朝に限らず良く聞く。心臓の鼓動のように自然な通奏低音、さざ波のような装飾音、起きぬけにまず聞く音楽としてはこれ以上のものはないと思うのです。…
ということで、私も初めてバロック音楽のCDを買ってしまった。“バッハ(1685-1750)のヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ”

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池井戸潤の18の作品 [私の読書]

最近の池井戸潤 20190412
新聞で池井戸潤を知った。金融・銀行を考えながら、読んだ

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1963年生まれ、慶応大学文学部・法学部法律学科を卒業。1998年に『果つる底なき』で第44回の江戸川乱歩賞を受賞。
池井戸潤さんは、私よりひと回り若い。慶応大学卒、三菱銀行勤務7年間、後小説を志したが、最近はともかく、当初は大変な生活だったとか。銀行出身、或いは沢木耕太郎さんみたいに入社当日辞めた人もいる。

 
3年間通った渋谷、電車に揺られながら、池井戸潤の作品を読んだ

『池井戸潤の作品』 以下の18冊を読んだ。
1.シャイロックの子供たち2.果つる底なき3.架空通貨4.鉄の骨5.民王6.かばん屋の相続
7.仇敵8.銀行狐9.銀行仕置人10.株価暴落11.ようこそわが家に12.最終退行13.銀行総務特命14.オレたちバブル入行組15.オレたち花のバブル組16.下町ロケット17.ルーズベルト・ゲーム18.空飛ぶタイヤ上 下

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沢木耕太郎作品を読んで感じたこと [私の読書]

読書があまり好きでない私が読んだ『沢木耕太郎の作品』について
旅好きな人で沢木耕太郎の「深夜特急」を知らない人はいないだろう。そして、彼を知った2013年頃から旅行記以外の7作品を読んで、すごいノンフィクション作家、鋭い・奥深い人間観察ができる人だと思った。

 
『テロルの決算』(1982年4月、35歳) 大宅ノンフィクション賞

『テロルの決算』は、すごい作品。そして、彼自身情熱家だ。
この作品は昭和35年10月12日、日比谷公会堂で、当時61歳の社会党委員長浅沼稲次郎氏(岡山出身)が17歳の少年山口二矢氏に刺されて亡くなった。その瞬間の写真が日本最初のピューリッツアー賞“1961年 『浅沼社会党委員長の暗殺』” このことを題材にしたフィクション作品。www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120316/302653/
この本は、政治家浅沼氏と学生の山口氏の生活、信条など根底を描き、この山口少年は、本当に政治のことを考えていたのだろうか?軽はずみの行動ではなかったのか?と問題を読者に投げかけている。

 『人の砂漠』(1977年10月、30歳)

ひとりの人間の存在を本当に好きでないと、ここまでは調べることは出来ないとも思った。通常、人は臭いものには蓋をしたがることを正面から調べた8編のルポルタージュした作品。
“ひとりの老女が死んだ。”から最初のルポ「おばあちゃんが死んだ」がはじまる。そして、売春防止法1956年制定に伴い、1958年(昭和33年)に赤線が廃止。元売春婦の養護施設をあつかった「捨てられた女のユートピア」「視えない共和国」話に引き込まれて読んだ

 『人の砂漠』出版の数年後に沢木さんのエッセイ集「路上の視野」の中で、 『人の砂漠』について沢木自身が述べている。≪ぼくは元売春婦だった者たちや、屑屋の中でも最下層に属する者たちを書いた。日本の最辺境の島や岬についても書いた。あるいは飢えて死んでいった老女についても書いた。 だがそれらの「物語」は、地の漂流者たちの悲惨について書こうとしたものではなかった。 もちろん告発のためでもない。彼らの「にもかかわらず生きている!」という生命力のようなものこそ書きたかった。

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山本一力作品 [私の読書]

作家の山本一力

山本一力氏は、朝日新聞で知った。彼は2億円の借金を返済するために作家になったという。非常に興味を魅かれ「あかね空」から読み始めた。そして、「蒼龍」、「草笛の音次郎」、「梅咲きぬ」、「赤絵の桜」、「背負い富士」、「まとい大名」、「損料屋喜八郎始控え」シリーズ、「いすゞ鳴る」、「くじら日和」、「菜種晴れ」、「いかずち切り」、「かんじき飛脚」、「辰巳八景」、「晋平の矢立」「道三掘のさくら」、「研ぎ師太吉」、そして「ジョン・マン」の作品、これからも、文庫で出版されたら購入し、読み続ける作家だ。



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壁の遊び人=左官・久住彰の仕事 [私の読書]

日本で一番工賃の高い、左官屋の久住彰氏をご存知ですか?

壁の遊び人=左官・久住彰の仕事(世織書房)
ドイツ、イタリア、アメリカと世界の土壁の違いを把握し、白浜の川久ホテルの漆喰壁を表現したことなど、興味の引くことが多い書かれている。内容を理解するのは読む世代によって違うだろう。漆喰の技術的なことより人生哲学を教えられた本です。

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本の中で気になった言葉を選んだ

土壁や漆喰壁というものは、元来、人々を魅了するエネルギーのようなものを発しているのではないかと思う。それは、壁を塗るために必要な「水」という媒介によって、「うるおい」という感覚が人々に伝わるからではないでしょうか。
「われわれが扱う土と水は、人間の生命の根源として考えなければならない素材です。人間の生命にもっとも近い土壁が、人間から離れてしまっている。われわれは、土と水で包まれているような建築を、もっと考えていくべきだと思うのです。」

一時の努力は誰でもできるけれど、それを何十年も続けられるというのが重要なんです。‥いつも面白くて、いつも一生懸命なんです。仕事に限らず、何をやっていても面白いんです。

「仕事で失敗したな、と思うことがあります。でもあまり気にしない。しょうがない、と思うんです。‥こんなに楽しんでこんな成果が生まれた、という感じです。」

【現在の住宅造りから】

「時代によって人々が求めるものが生まれてくるので、その過程で新しい方法が考え出されていくのでしょう。‥正しいか正しくないか、という話はしたくない。‥どんどん世界が狭くなるんです。広がらない。そういうのは僕の望む人生ではないんです。」

常に問題意識を持ち、楽しく生きていきたい



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ルイス・カーン ちょっと理解できました [私の読書]

『ルイス・カーン研究』 前田忠直著

いつ頃、この『ルイス・カーン研究』と436ページもある『LOUIS I.KAHN COMPLETE WORK1935-1974』の高額な書籍を購入したのだろうか?

2月の連休を利用して、この作品集を見ながら『ルイス・カーン研究』を読ませていただきました。
現在の建築、“伊東家の人びと”、にQuesionを投げかけているように思った。


私が若い頃、磯崎さんの本を読んで何を言っているかさっぱりわからなかった。60歳を過ぎたのに『ルイス・カーン研究』も難しい。、序文を書いたルイス・カーンに学んだ香山壽夫が、“読み易い本とは言えない”と言っているわけだから、まあ良いだろう。


ルイス・イザドア・カーン(Louis Isadore Kahn, 1901年2月20日 - 1974年3月17日)

20世紀を代表するエストニア系アメリカ人建築家。73年間の人生だ。“カーンの成熟は遅い。1951年春から初夏にかけてのこと、…建築作品にでなく、まず素描の中に実現される。”

15年前だろうか、ボストンとフィラデルフィアで彼の作品もみたが“削ぎとがれた、装飾のない建物だなー”と思ったぐらいで、建築作品の良い記憶は残っていない。それよりも、ロダンの彫刻に圧倒された(www.rodinmuseum.org) ことが旅の思い出だ。今思えば、もう少し勉強してから見ればよかったと思う。


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お薦めの本 永遠のゼロ 百田尚樹 [私の読書]

『永遠のゼロ』 百田 尚樹


ラジオ放送で百田直樹さんを知った。人柄に興味を持ち、作品『永遠のゼロ』のタイトルに魅かれて読みはじめ、そして今日読み終えた。
百田さんの人柄を知ることができるブログhttp://www.mishimaga.com/hon-watashi/045.html

特攻隊員の生き様を描いた『永遠のゼロ』250万部のゼロが「零戦」の事とは知らなかった。
また「零戦」がこんなに素晴らしい飛行機だとは思わなかった。
同時に、どうして戦後、日本製の飛行機を造らなかったのだろうかとは思ったが…。


さて、この書籍は“零戦のパイロット宮部氏を通じて、戦争の悲惨さを分かり易く書かれている。”戦後生まれの僕さえ、涙無くては読めない話だ。

戦争の無残さは、読めば分かる。

印象に残った言葉は、幾つかあるがその中で、“人の運命はささいなことで大きく揺れるという。私はつくづく運命の不思議を思う。”それだけに、人との出逢いは大切にしないと思っている。

解説者の児玉 清氏が、百田さんについて以下のように絶賛している。

“百田尚樹氏のデビュー作である本書『永遠のゼロ』と出逢えたときの喜びは筆舌に尽し難い。それこそ嬉しいを何回重ねても足らないほど、清々しい感動魂を浄化してくれる 稀有な作家との出逢いに天を仰いで感謝の気持ちを表したものだ。”



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