SSブログ

武蔵境 三人の友達 [友だちとの会]

『三人の友達 武蔵境』


2015年6月7日、武蔵境の近くに事務所をもつ友人3人、久しぶりに武蔵境で会った。そして、武蔵野茶房で食事をし、近くのスタバでコーヒーを飲んだ。情報交換というか、近況の話をして、憂さ晴らしをした。

ここ4年の間に、大切な友、池尻君、早崎君、宮崎君、立花君が他界した。自分だっていつまで生きているなどと考えながら、事務所、家に一人でこもっていると、将来先々のことをマイナーに考えがちになる気性である。

三人とも、スタッフ有無はともかくとして、設計事務所の代表者。
それぞれ、時間に縛られるのでなく、自分の生活リズムに合わせて働いている。中央の疲れ顔の私は、土曜日、日曜日、祝日も、ほとんど境の事務所に来ている。今、ブログを書いているように、事務所を書斎代わりにも使っている。朝7時頃から夜の6時まで、事務所のあるこの武蔵境にいる。時間があると、スタバに行くという日々を送っている。

武蔵境に設計事務所を開設して、24年目になる。ここまで来ると、他人の作った建築を見る気はしない。
若い頃と変わらないのは、美しいものを見ることだ。素直に見て、美しいもの。子供であったり、女性であったり、花であったり、先週の土曜日は、久しぶりに休日として、日本海を見に、寺泊までドライブした。

この次は、御殿場に行って、富士山をみようと思っている。
まあ、年金生活が出来ない私の場合は、生きている限り仕事をして、一日一日を大切に生きていこうと思っている次第です。


柳小川三人.jpg





2年と6カ月ぶり、2018年1月3日、前と同じ店、武蔵野茶房で食事をした。

20183人会.jpg

2023年12月9日 食事会73~78歳になるとなると、なかなか会えない。
今回の食事会は、武蔵境のロイヤルホストだった。コロナと体調の関係で、6年と10ヵ月ぶりになった。午前11時30分にレストランで待合せ、そして、午後1時30分頃までゆっくりと会って食事をした。三人共、軽食だ。やっぱりこの歳、話題は仕事でなく、病気の悩みというか、自慢というか、何とも言えない話題。次回はいつになるだろうか?
友6.jpeg




nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【ひとり旅Ⅳ】 最後のリスボン見学 [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅳ】最後のリスボン
今日は7日、最後のリスボン見学。明日はイタリアのローマ経由、2泊して成田に帰る。


今日一日の観光内容は盛り沢山だ。建築見学サン・ジョルジェ城周辺の見学パステル・デ・ナタ(エッグタルト)の2店舗の味比較そして、サンタ・ジェスタのエレベーターと街を横断する28番の電車に再度乗ることだ。
比較3.JPG

1)午前中は、1998年のリスボン万博等の現代建築見学。

2)午後はサン・ジョルジョ城とアルファマ地区の見学。

リスボン2.jpg

小さな街なので路面電車と歩きの観光を続けた。


建築見学
1)現代建築の見学が中心になった。


バスコダ橋2.png

(1995年に着工され、リスボン国際博覧会開催直前の1998年3月29日に開通した。ヴァスコ・ダ・ガマ橋の全長は17.2kmあり、2018 年に長さ約 18 km のクリミア大橋が完成するまでヨーロッパで最も長い橋として知られていた。)


エヴォラに行く途中、テージョ川に架かる橋、ヴァスコ・ダ・ガマ橋 (Ponte Vasco da Gama) を見てからだ。2月7日、朝から雨、朝9時頃だろうか、雨が止んでからスケッチを始めた。
その他の建築2JPG.JPG
空に浮いているケーブルカーを見てびっくり、先にある橋の美しさにもびっくり。どうしてこんなに美しいのだろう。ポルトのエッフェルの設計したドナ・マリア・ピア1877年のように美しい。

バスコ橋1.JPG

バスコ橋2.JPG


橋1.jpg


バスコ橋3.JPG
少しくもり空だが、左に虹がかかってきた。


バスコ橋4.JPG
虹がかかった。誕生日を祝ってくれているようだ。


シザの建築を捜し歩いた。諦めかけた時に見つけた。


1998年リスボン万博 ポルトガル館 設計 アルヴァロ・シザ
(Álvaro Joaquim de Melo Siza Vieira、1933年6月25日 - )
ポルトガル随一の国際的建築家で、ポルトガル建築界を代表する存在である。北部の大都市、ポルトを拠点としている。授。1992年にはプリツカー賞を受賞、翌年に槇文彦が受賞している。
建築1.JPG

82m×55mの大空間をコンクリート厚さ200㎜、ワイヤー100φ@450で組み、布のように見せ、この空間を覆う様はすばらしい。シェル構造の美しさだろうか?万博後は、イベント開催に使用されているが、あまり使われていないように思う。その空間を構成するための両サイドのコンクリート壁と後方の建物が寂しく感じる。

建築3.JPG

建築2.JPG

建築5.JPG

建築6.JPG

建築10.JPG

建築9JPG.JPG

建築8.JPG
その空間を構成するための両サイドのコンクリート壁と後方の建物が寂しく感じる。

建築7JPG.JPG
確かに美しい、コンクリートの進化した表現だ。
テント地でも別の表現が出来たのではと思ったりした。



「パウラ・レゴ 美術館」(2009年完成)  設計/エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ

(Eduardo Elísio Machado Souto de Moura、1952年7月25日 - )ポルト市
ポルト大学芸術学部彫刻を学んだが、途中で建築に転向し、1980年に学位を取得。
1974年から1979年までポルトの建築家アルヴァロ・シザのもとで働く。

赤いコンクリートの塊と二本の三角形、実際見て、あまり抵抗感が無く楽しく見ることが出来た。広い敷地に建つ環境がこういった形を許すのだろう。青い空、周辺には高い建物はない。女性画家、版画家のパウラ・レゴ(1935~2022年、享年87才)の作品に似合ったデザインであろう。

パウラ・レゴの作品

Paula Rego.jpg
レゴの初期作品は型にはまらないもの 独裁者を怪物や動物にして描くこともある



パウラレゴ.JPG


パウラレゴ2.JPG
ゲートはアルヴァロ・シザの作品そのままという感じ


カスカイス8JPG.JPG

パウラレゴ.-3JPG.JPG


パウラレゴ4.JPG

パウラレゴ5.JPG

パウラレゴ7JPG.JPG

パウラレゴ8JPG.JPG

パウラレゴ9.JPG


パウラレゴ11.JPG
外構の芝生に咲いてたキノコ?緑の芝生にあるが全く気にならない。この建築をイメージした。



オリエンテ駅 設計 サンティアゴ・カラトラヴァ設計 サンティアゴ・カラトラーバまたはサンティアゴ・カラトラーヴァ(Santiago Calatrava Valls 1951年7月28日-)はスペイン出身の構造家・建築家である。
構造家がデザインするとこうなるのかと思った。別にここになくったって、良いんだと思った。
トラス、胴縁に相当するフレーム材が美しくない。無機質な空間はリスボンに似合わないなー。
でも、好きな人は好きなんだろうなー。
オリエンテ駅.6JPG.JPG

オリエンテ駅7.JPG

オリエンテ駅8JPG.JPG


オリエンテ駅9JPG.JPG

続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

【ひとり旅Ⅳ】 オビドス   [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅳ】オビドス
正面に見える北端の高いのが、今日の宿泊先、ポサーダ・ド・カステロ
ここで、私の誕生日を祝うためのケーキを準備してもらった。


オビドス全景3.JPG
オビドスはリスボンの北95km、リスボンからバスで1時間10分。広さはイタリアのピエンツァのような小さな美しい街、完全に城壁で囲まれた500m×150mぐらいの広さ。人口は800人ほど。西から東になだらかな山の傾斜地に築かれている。「谷間の真珠」と呼ばれる絵のような街だ。

オビドス地図.jpg


オビドスに到着したのは、30分程度遅れて、午後5時頃になった。バス通りは、城壁沿いに走る道路。バス停はゲートの近くにがある。まずは、南端にある二重の美しいゲートを通り抜け、南北にまっすぐ走る街路に出る。街路幅は4m程、距離は380m程先に城を改装したポサーダ・ド・カステロがある。

オビドスのゲート.JPG
オビドスの正門
敵から城を守るために二重になっている


二重ゲート1JPG.JPG


二重ゲート2.JPG


オビドス1.jpg
主要街路は、道幅4m程、車を交わすのが大変だ。


街並み5.JPG
街を二分し、南北に細長くのび、等高線に沿うように
街路はポサード・カステロに向かってゆっくり上がって行く。



オビドス11jpg.jpg
主要街路


オビドス5.jpg


街並み1.JPG
狭い街路のほぼ中央で、急に開けて東側にパノラマが見える。


テラス01.jpg
このテラスから下を見ると広場がある。


オビドス7.jpg
下がったところに広場がある。そして並行して走る狭い街路が垣間見られる。


ホテル入口JPG.JPG
正面が宿泊先のポサーダ・ド・カステロにチェックインをした。


オビドス平面1.jpg
17~18㎡の広さ、突き出たコーナーもある。

2断面01.jpg
天井高3.5m

BDプレゼント.JPG
シーズンオフで朝食付き一泊135ユーロ、案内された部屋には
ホテルからのお祝いの誕生日のケーキ。オブリガード


オビドスH1.JPG
13世紀の城を改装した室内。
明日のスケッチの場所を考えながら散策した。ハムとチーズとパンを買って夕食にした。


ホテル室内3.JPG

ホテル室内4.JPG


景観と私.JPG
お城から見る景観は素晴らしかった。


ホテル中庭.JPG
翌日の朝食を10時にお願いし、チェックアウト当日、早く起き、朝7時頃から散策


ホテル中庭2.JPG
この階段を上がって行くと私の部屋がある。



散策中に、猫たちの朝会に遭遇した。

オビドス猫0JPG.JPG

オビドス猫1JPG.JPG

オビドス猫2JPG.JPG

オビドス猫3.JPG


朝食のため10時前に戻ったら、雨が降り出した。雨に合わなくて良かった。


ホテル朝食.JPG
サロン、食堂と落着いたきれいな部屋だ。


ホテル朝食2JPG.JPG

サロンJPG.JPG
食堂とサロンの雰囲気は良いが狭い


朝食後、ポサーダの大きな傘を借りて散策した。オビドスで、ポルトガルのお土産を買うことにした。小さな街だから、傘をさしてお店を一軒一軒見て回り、買い物をして、軒下でスケッチという観光には特に問題なかった。晴れていればさらには良いが…。

オビドス全景6.JPG

オビドス全景5.JPG


オビドス全景4.JPG


続きを読む


nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

【ひとり旅Ⅳ】 コインブラとナザレ [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅳ】コインブラとナザレ
今日は2月4日、コインブラに泊まる。翌日にはナザレを観光して、オビドスのポザールに泊まる。そして、6日にリスボンに戻る。旅行ケースを6日から宿泊するホテルに預け、持物はリュックサックだけ

『コインブラの見学』
コインブラは、モンデゴ川を挟み下の街区と上の街区がある、人口は10万人程度だが、政治のリスボン、商業のポルトに次ぐ、教育・学業の街だ。現在もパリ、ボローニャー、サラマンカに並ぶ古い大学、1308年設立した大学がある。一方、商店街のある下の街区には、金平糖(1569年にポルトガルの宣教師が 織田信長に、贈った)の店(日本の観光客は行列して買ってい)、男子学生が「ファド」を歌う店もあり、愉しい街。

コインブラ地図.jpg

リスボンからコインブラまで高速バスで行く。7時30分発に乗るため、6時30分にホテルを出た。前の電車が事故で、8時30分発になり、コインブラには、12時前高速バスターミナルに着いた。ターミナルは郊外にあるため、下の街区までは市内バスで行く。そして、上の街区にある民宿までは歩いて30分近くかかった。
コインブラ1.JPG
ここが下の街のバス停、川を渡り上の街の方向に行く

コインブラ-1.JPG
郊外の街(下の街)の雰囲気、街路樹はオレンジの樹。


今回利用する民宿は、27ユーロ、共同シャワーの安い宿、上の街区の一番高いところにある。オレンジの街路樹を見ながら民宿に向かう途中で果物屋があった。お土産になると思い、イチゴとオレンジを買った。

コインブラ4.JPG

コインブラ3.JPG
果物は安い

何度も民宿の場所を尋ねながら、急な坂を上り、息を切らせながら、やっと到着。民宿のおばさんには、タクシーで来ればいいのにと言われたが、倹約だ。

コインブラ街3.JPG
このゲートから登って行く。スーツケースが無いから良いが・・・

コインブラ街4.JPG


コインブラ街5.JPG


コインブラ街6.JPG
まだ先、この階段を上る。途中オーダーメイドの帽子屋があった。


コインブラ街7JPG.JPG

この階段はきつい、今73歳なら登れないだろう。若くてよかった。

コインブラ民宿部屋.JPG

民宿部屋2.JPG
1泊27ユーロ、共同シャワーの部屋です。学生の頃利用したホテルは、こんな程度。


宿の女主人から観光ルートを教えてもらい<観光スタート。コインブラは本当に大学の街だ。美術館の中にきれいなセルフサービスのレストランでスケッチをしながら、ゆっくり食事をした。
途中で雨が降り出した。

コインブラ美術2.JPG


コインブラ美術館レストラン.JPG
セルフサービス定食7ユーロ、ジュースを飲んだので8ユーロだった

コインブラ13jpg.jpg
コインブラ旧大学のスケッチ


コインブラ旧大学1.JPG
前方に見えるコインブラ旧大学


大学3.JPG
食後雨の中を、旧大学に行く。蔵書30万冊の図書室を見学した。


コインブラ旧大学2.JPG

大学6JPG.JPG
校舎の中

大学8JPG.JPG

大学10.JPG

大学14.JPG

大学15.JPG
ロマネスク風の中庭

大学11JPG.JPG


民宿に戻る途中、1530年に建てられた教会を利用したカフェー“サンタ・クルス”で午後7時頃までお茶をした。


コインブラの食事JPG.JPG
そして、登坂の途中で見つけたレストランで食事11ユーロぐらいだった。
盛り付けは今一だけれど美味しかった。


食後、迷いながら民宿に辿り着く。途中、本格的な雨に見舞われ、ズボン、靴とビッショリ、夜中にヒーターにあてたり、ドライヤー、マットの下とかに干しながらやっと乾いた。翌日、小雨の中、7時頃から8時30分まで市内観光をした。

コインブラ街1.JPG
まだ暗い、面白そうな広場を見つけた。

コインブラ11jpg.jpg

残念ながらスケッチの時間がなく、一度ホテルに戻り、朝食を済ませた。そして、長い坂道を歩いてバス停に向かった。

民宿の朝食JPG.JPG
朝食のサロン


民宿のベランダから見るコインブラの街、ここが如何に高いか分かる

民宿から2.JPG

9時発のナザレ方向行きのバスに乗るために急いでバスターミナルまで行く。バスの発車が遅れた。待っている間、スコットランドの学生二人ずれに会う。雨に慣れ、変わった服装をしていたのでスケッチをした。見せたら上手いと言われ、スケッチを写真に撮りたいと言われた。バスの中で、英会話の勉強のつもりで話しかけてイチゴを上げた。
窓口1.jpg
バスの切符売り窓口


コインブラ待ち14.jpg
スコットランドの2人の学生

続きを読む


nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

【ひとり旅Ⅳ】 シントラとエヴォラの旅 [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅳ】シントラとエヴォラ
旅の2日目の日曜日晴れ,日帰りの旅。手持ちは54ユーロ、今日はこれで大丈夫だと思った。


まだ外は暗いが朝7時にホテルをスタート。目的のリスボンの広場を1時間ばかり実測し、シントラ行き電車が出るロシオ駅に行った。1階には広いスタバ(正面右側の3つの出入口分)があった。
ロシオ駅.JPG

ポルトガルのコーヒー1杯が0.6ユーロ、スタバは2ユーロ高いな~と思いながら、長いエスカレーターで2階にある駅、改札口に行くが、窓口は締まっていた。自動切符販売機はあるが、使い方が分からない。近くのおばさんと駅員らしき人に尋ねてやっと往復切符を買った。そして、発車時刻まで時間があるので駅中のスタンドでコーヒーとパンを食べた。

「シントラ見学」
シントラは、首都リスボンの西に位置し大西洋が望める山間の街。この地はポルトガルの王家に愛された避暑地「シリーズ世界遺産100」では、シントラに建てられた二つの宮殿(ぺーナ宮殿と王宮)が紹介されている。

ひとつは14世紀に築かれた王宮、16世紀ポルトガルの黄金期の王マヌエル1世により豪華に改築。マヌエル1世はヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の決断したり、多くの事が決断された重要な場所。ぺーナ宮殿は、王宮建設から300年後、大航海時代は既に去りポルトガル王家の輝きも失われた19世紀に建てられた。国王フェルナンド2世は、おとぎ話に出てくるような宮殿つくりに生涯を捧げた。王の権力は1908年頃から、王国としてのポルトガルは終焉を迎えた。(NHKシリーズ世界遺産100より)

シントラ行きの電車で、アムスで知り合った2人の学生にあった。彼らとリスボンの情報交換をした。そして、40分ほどでシントラに着く。まずぺーナ宮殿方向のバスに乗ることにした。バス停で上海で働く日本人夫婦と知り会い、意気投合し楽しかった。また、スペインのマドリードの夫婦とも知り会ったり、それなりに観光ムードのこころよさだ。

『ぺーナ宮殿』

ペナ外観1JPG.JPG
『ぺーナ宮殿』は岩盤の上に建つ


ペナ外観2.JPG
前に歩くのがマドリード生まれの50歳代のスペイン人夫婦


ペナ外観4.JPG
おとぎの国のお城のようだが、武骨さが好きでない、ドイツ様式だろうか?
ぺーナ宮殿の門を.JPG
正面にゲートが見える
ぺーナ宮殿屋上.JPG
急に観光客で賑わいはじめた
ぺーナ宮殿外観1JPG.JPG
色んな建築様式が乱れ、色使いも美しさは半減
ぺーナ宮殿食堂JPG.JPG
ペーナ宮殿の食堂
ぺーナサロン.JPG
ぺーナ宮殿サロンJPG.JPG
ぺーナ宮殿サロン
入口そばの柱.JPG
サロンの入口の柱
ぺーナ宮殿中庭.JPG
ドイツ的、繊細さの無いぺーナ宮殿中庭
ロカ岬JPG.JPG
周辺は山並みは美しい
ぺナ宮殿から王宮までバスで行く。
『王宮』
ポルトガル王家の夏の離宮JPG.JPG
離宮外観3.JPG
離宮外観2JPG.JPG
2つの塔の形が変?台所の換気塔
離宮のサロン.JPG
離宮のサロン
台所の通路.JPG
台所に行く通路
増築台所.JPG
16世紀に改築された厨房部分の2棟の円錐の形には、興味が魅かれた。
手持ちユーロの話になるが、王宮見学後5ユーロしかなく、王宮から歩いてシントラの駅に行った。往復切符なのでリスボンまでは帰れた。今日も夕食なしだ。お金の無いのは慣れているが、海外で手持ち金が無いのは結構さびしい。午後2時頃リスボンに戻る。旅行は残り、7~8日間、明日は6万円を両替することにした。

続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

【ひとり旅Ⅳ ポルトガルとイタリア】 [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅳ】 ポルトガル イタリア
憧れのポルトガルを見てきました(2013年は仕事に追われて)
今回の旅行先は、ラジオで大橋巨泉がポルトガルのいわしがおいしかったということで、行先を決めた。
【60歳からのひとり旅Ⅳ】 2014年1月31日から2月11日

        航空券         140,000円 
        ホテル料金       120,000円
        その他 交通費・食事など   8~9万円  合計 35万円
            
1ユーロ145円(昨年は100円)、宿泊費用を倹約できたが、60歳過ぎなのでお許しを

旅行の注意/手荷物は少なくして、機内持込みの33ℓ旅行鞄とリュックサック。雨期のために、スリッパ、ジャケット、靴余分に1足、合羽と傘。カバンの中を占めるのは10日分の下着だ。そして、常備品は日本製キャンディは対話には欠かせない。
 
<航空券はHISで手配>

KLMオランダ航空を利用した。アムス経由でポルトガル/リスボンからイタリア/ローマ経由で帰国。ローマ経由でなくリスボンから帰国すれば1万円安い。
<旅行内容>
 
1月31日      成田からアムス経由でリスボン
2月1日~4日   リスボン、ホテルは ブラウン・ダウンタウンホテルに4泊。
           その間に近場のカスカイス、シントラ、エヴォラを観光
  4日~5日   コインブラ、ホテルはゲストハウスカーサ ポンバルに宿泊。
           途中、ナザレに立ち寄る
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2014-02-14
 5日~6日   オビダス ホテルはポザーダ・ド・カステッロに宿泊。BDを祝う。
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2014-02-19
 6日~8日   リスボン インタナショナル・デザインホテルに2泊
 https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2014-02-14-2
 8日~10日  ローマ クイリナーレホテルに2泊

世界地図.jpg
香港、オーストラリア(パースとシドニー)、スペインそしてポルトガル

<目的>
昨年から始めた彩色するスケッチと新しい広場を見付けること。ファドを聞くのも、ポルトガル料理を食べるのも興味がないが、露天でイワシを食べることはある。今回はスケッチブックは大小2冊と測量レーザー(広場測量)そして、地球の歩き方と青目海著の“リスボン 坂と花の路地を抜けて”)を持参し調査・観察すること。

【ひとり旅Ⅳポルトガル旅行】 2014年1月31日~2月8日

1月31日に自宅を午前6時20分頃に出る。成田には予定より早く着いた。
31日電車8時成田jpg.jpg
山手線、朝が早いので寝ている人が多い


KLMオランダ航空で成田を11時30分に搭乗予定、1時間遅れて出発。機内で、隣にHISのスペイン旅行10日間に参加した女性。彼女たちの鞄は70ℓの大きさ、両替方法と行先のホテルに荷物を預けて、近場の観光をするテクニックなど話をして、彼女たちから“すごーい”と言われながら悪い気はしなかった。そして、アムスに1時間遅れ、16時15分に到着。リスボン行きの飛行機は4時間待ちで21時発になった。その代償として50ユーロの飛行のクーポン券と食事代などの10ユーロのクーポン券をもらった。その券でスタバのコーヒーを飲む。搭乗時間になり、飛行機に乗った。

アムスの時間待ちjpg.jpg
アムスで搭乗時間を待っている学生、中国人など

リスボンに23時頃に到着。明日土曜日、日曜日、銀行(両替は銀行と決めている)は休み。空港で差当り1万円両替(58ユーロ)。バスもなく、タクシーに乗った。通常、リスボンの中央のホテルまで15ユーロ程度。35ユーロだった。結構騙されている人が多い。チェックインは、2月1日1時を過ぎ。

2月1日 今日は気ままに歩く日
「ポルトガルの歴史を少し」

ポルトガル人は我が国を訪れた最初の国。ヨーロッパの中の国としてでなく、世界の経済大国として栄えた。
ポルトガルから伝わった言葉、ボタン、パン、じょうろ、金平糖など、今も日本で使われている。それだけにポルトガルは、日本にとっては「遠くて、近い国」

この栄華は、半世紀だけの短い発展であったが、その後はブラジルに植民地帝国を築きと西アフリカの奴隷・食糧‥ブラジルが1821年に独立後も1974年、産業の活路を広げながら 1986年欧州共同体に加盟し、ヨーロッパの一員として≪ポルトガルの歴史 金七紀男著≫


ポルトガルの国土面積、92210km2(人口1050万人)は、イベリア半島の1/6の面積。日本の北海道よりは広く、ギリシャより小さい。農村面積は国土の7割を占める。北部の山岳地帯、中部の台地地帯、南部の平野地帯からなる。中部以南は乾燥しており、高温だから農業に適していないそうだ。

2014年に訪れた、中部の首都のリスボン。街から1時間も走らないうちに山が見えてくる。岩肌の山、コルクの樹、羊、牛の放牧地が広がる。ほとんどが山地で平野がない。

さあ見学だ。時計は朝6時を回っていた。外は雨、まだ暗いが起きた。青目海さんの本を持ってテージョ川を見に行くことにした。フロントで時計を見たら6時(アムスとの時差が1時間)。傘を差して、川に向かってひたすら歩く。開いているお店は、カフェーが一軒、コーヒーを飲んでいた警察官に、現在の場所(シアード地区)と川の方向を尋ねた。そして、ミルク入りのコーヒーとクロワッサンを注文。お金が0.1ユーロ足らなかったがサービスしてくれた。ミルクをポルトガル語でレイケと言うことを学んだ。ポルトガル語は、イタリア語より田舎言葉ようなアクセントと思った。みんな親切だ。そして、テージョ川に向かう。先ほどのお廻りさんが巡回していた。結構、街は警備がされ治安が良い。8時前、川沿いに市場(リベイラ市場)があるのを見つけた。まだ準備中だったが、オレンジと大きなイチゴを1/2㌔ずつ買った。市場を見ると気持ちは浮き浮きしてくる。

リスボンで最も美しい駅、カイス・ド・ソドレ駅に出る。

カイスドソドレ駅1.JPG



続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

【ひとり旅Ⅲ】スペイン イタリア [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅲ】 スペイン イタリア
バルセローナとフィレンツェ・シエナ・サンジミニャーノの旅

9階建ての中古の中田事務所ビルの9階と8階をスケルトンにし、住まいとして改装工事の設計・監理の仕事が完了と同時に旅をした。
『60歳からのひとり旅Ⅲ』  2012.12月3日~12月15日
 
今までのひとり旅の中で一番長く、費用の出費をした旅になった。

        航空券         138,550円 
        ホテル料金       88,500円
        その他 交通費・食事など  80,000円  合計 31万円

<航空券はHISで手配>

行きはエアーフランス航空、帰りはアリタリア航空を選んだ。但し、バルセロナから直行便フィレンツェまでは、初めて自分でイベリア航空を予約, 13,500円(曜日によって価格は違う)だったホテル探しはAgodaとVenereとHotels・comを利用。同じホテルでも価格は違う。

<旅行内容>

12月3日バルセロナ 成田からパリ経由でバルセロナ着午後9時   6泊 ホテル  
      3~5日ヌーベルホテル(三ツ星)カタルーニア広場に近く交通便が良い
      5~9日コロンホテル (四つ星)観光便利・サービスとお薦めホテル
12月9日 バルセロナからフィレンツェ フィレンツェ4泊 シエナに1泊ホテル 

      9~11日エルミターゼホテル(三ツ星)余りお勧めできないホテル
      11~12日アテホテル((四つ星)交通の便は悪い、景観が良いお薦め
      12~14日ブレターニャ(三ツ星)交通の便は悪い、部屋は悪い

12月14日 フィレンツェ発 ローマ経由で15日に成田午前9時45分、帰宅12時前。


<目的>

 1)バルセロナではガウディの建築見学とチョコラータを飲みチェロスを食べること。 そしてカタルーニア音楽堂でフラメンコ見学、レイ広場の実測見学。 
 2)一番好きな街、花の都フィレンツェに行くこととシエナのカンポ広場見学

<感想>

ガウディの作品はディテールが多くて疲れるが楽しかった。サクラダファミリアの内部は見学しなかった。ピカソ美術館は非常に良かった。ミロ美術館は遠かったけど、内容は期待外れだった。

フィレンツェ・シエナ・サンジミニャーノの30年前と変わらぬ景観と行きつけのバーでのひと時の会話は楽しかった。サン・ジミニャーノでは、城壁沿いからの新しい景観を見つけて少し興奮気味にスケッチ(塔に上ることを忘れた)を愉しんだ。
スペイン、イタリアと天候に恵まれて、朝7時前後から活動し、午後5時頃まで、スケッチと実測の日々だった。

『スペイン旅行』
38年前のバルセロナの思い出

もはや遠い思い出だ。私がこの地を最初に訪れたのは、1974年、あれから38年になる。
当時、イタリアの物価が日本の半分、スペインはイタリアの1/2。非常にホテルの宿泊費と食費と安かったことを覚えている。コミュニケーションというと、私はイタリア語で話し、スペインの人はスペイン語、でもなんとなく通じていたことも、楽しい思い出だ。当時も、ガウディの建築見学と広場探しで訪れた。バルセロナ、マドリード、セゴビア、トレド、コルドバと見学した。今でも覚えているのが、バルセロナの街頭で食べた“チョコラータとチェロスの味”と“コルドバの女の娘との出会い”は懐かしい思い出だ。



【ひとり旅Ⅲ バルセロナ】<2012年12月3日~9日

海外の旅は、言葉の不自由さはあるがそれなりに楽しい。
バルセロナは小さな街、何度も同じ人と顔を合わせ、その度ごとに「ア、オーラ」と挨拶

バルセ全景-1JPG.jpg
バルセロナの全景

旅行の愉しみ方

まず地図を買うこと。(バルセローナでは、地名はカタルーニア語、ガイドブックはスペイン語で書かれている)。地図を見ながら、地元の人に尋ねながら美味しいチョコラータの店とチュロスの店(日本のマスコミが取材に来た)を見つけた。
安い食堂を探すこと。ちょっとまともな食事だと2,000円前後を覚悟しなければならない。1日5,000円に抑えたので、昼食(午後2時頃から)だけをメインにした。
色んな交乗り物にのることを経験すること。バルセローナの市内、ガウディのグエル公園(1回目は地下鉄と徒歩、2回目はバスと徒歩)だった。バスで行くことをお薦め。

美味しいチョコラータのお店

キュロスの美味店1JPG.jpg美味しいチョロラーJPG.JPG
食事チェロJPG.JPG





色んな楽しいことがある。カタルーニア音楽堂でのオペラ・フラメンコの見学。そして、レイ広場でスケッチをしていたら、観光客がそばに寄ってきた。スケッチしている姿を、写真を撮らせてほしいと言われたときはびっくり。大好きな街バルセローナ、すべてが楽しい思い出。

バルセ廊下.jpg
ビスべ・イルリータ通、スケッチで一番好きな場所


バルセ王宮2.jpg
レイ広場

続きを読む


nice!(0) 
共通テーマ:旅行

【ひとり旅Ⅰ】オーストラリア  [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅰ】オーストラリア

2010年2月に60歳になったが、相変わらず経済的にも余裕のない。年月だけは一日一日と過ぎてゆく。6月に鉄骨造3階建ての改修と木造住宅の設計の仕事が始まった。金銭と時のバランスの悪さを考えながら、この先、どのように生きていくかを考えた。そこで、年に一度の誕生日を海外で祝う《60歳からのひとり旅》をはじめた。

梶井基次郎の言葉ほどよい怠けは生活に風味をそえる”

《60歳からのひとり旅》は、友人の娘さんが家族で住んでいる、シドニーに行くことに決めた。日本との時差が1時間しかない、東京を夜出て翌日の朝に着くという魅力。パースは世界でいちばん住みやすい街として、ガイドブックに紹介されている。
『60歳からのひとり旅Ⅰ』
2011年2月2日~2月9日 8日間の旅

          航空券(シドニーとパースの往復)  150,000円
          宿泊費                  56,000円  
          その他 食事等        40,000円 合計250,000円     

貴方の趣味と聞かれ、年一度の海外旅行が唯一の趣味と答えることにした。


<航空券・ホテル予約はHISで手配>

まずは、12月末、HISで旅券(15万円)を買う。(1月に買った方が安かった。)ホテルはインターネットで、agodaとHISを利用して探した。パースのホテルはagodaから探した。そして、シドニーのホテル探しは(数年前に、HISの紹介で泊まったホテルはひどかった)、HISのセール中との言葉に魅かれて、シドニー3泊の中の2泊をHIS紹介のホテル、1泊9,000円。BDの1日はagodaから選択、一泊18,000円(The Russell Hotel)は良かった。
飛行機は少し高いが、仕事の関係で直行便のカンタス航空を選択。操縦は上手い、案内からサービス、食事の内容も満足。シートのサイズ(幅495mm、空きスペース250mmを含めて長さ800mm)は広いかどうかはわからないが、シートの頭部分は、二重になっていて頭を挟み込み、更に目隠しにもなる構造になっていた。
 
<旅行内容>
 
2月2日~3日 2日、事務所から成田に向かう。午後10時30分出発、3日午前6時 
2月3日~6日 パーツ   
2月6日~9日 シドニー  パーツからシドニーに行き、BDを祝い、9日時間通り、成田に午前6時到着し、直接事務所に行き仕事をした。

<目的>

61歳の誕生日は、私にとって高級ホテルを予約し、私の好きなデンマークの建築家ヨーン・ウツソン(Jorn Utzon (Jørn Utzon), 1918年~ 2008年享年90歳)の設計したオペラハウスを見ながら誕生日を迎えること。
https://musashinosekkei3.blog.ss-blog.jp/2013-02-25-8

続きを読む


nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

【ひとり旅Ⅱ】香港  [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅱ】 香港
今回の旅は、営業を兼ねた3泊4日の短期間だった。
香港旅行は今回が2回目。初回は1982年(西武ライオンズ、初回優勝した年)。香港がイギリスから中国に返還されたのが、1997年7月だから返還前になる。マカオは、ポルトガルの植民地から中国に返還されたのが1999年。歴史は動いているのを感じる。日本は島国で良かった。

『60歳からのひとり旅Ⅱ』
2011.9月26日~9月29日 3泊4日間の旅

               航空券        48,000円
               宿泊費        37,500円
               その他 食事など  30,000円  合計12万円

<航空券はHISで手配>
HIS新宿店で航空券 航空会社 デルタを手配し、ホテルはネットで予約した。

<旅行内容>

9月26日 成田を午後6時50分発 香港直行便、午後10時30分着
9月27日 営業先のIMCに行く。
9月28日 香港市内を見学
9月29日 香港を午前8時25分に
<目的>

施主に御挨拶すること、 広場探し、海に浮かぶレストラン〈珍寶海鮮舫〉を見学

   
香港の広さは東京23区の2倍程度、1,1041K㎡
香港の人口897万人、東京23区の人口700万人

比較地図.jpg

香港の飛行場には26日午後22時30分着、時間通りだ。飛行場での通貨レートは安い、必要分の5,000円だけ両替(通貨レート0.945、472HK$)した。残りは、銀行で両替(通貨レート1.0)。
飛行場から香港駅までエクスプレス、そして天后まで地下鉄(MTR)を利用してホテルに行く計画、3日間自由に乗り放題のエアポート・エクスプレスカード220$とオクトパス・カード150$を購入(エクスプレスカードを先に買うと、一枚で処理)した。そして、無事当日、24時10分、天后にあるホテルにチェックインした。
繁華街のホテルの方が良かった。もう少し早くチェックインできただろうと思った。

部屋に入り、室内の実測をし、シャワーを浴びてベットインしたのが、朝2時近かった。

香港カード.jpgホテルの部屋.jpg

続きを読む


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

【ひとり旅Ⅱ】香港2 [60歳からのひとり旅]

【ひとり旅Ⅱ】香港
香港をひたすら歩き、地下鉄(MTR)とトラムとバスを利用して見学。食事は安く、おいしかった。

九龍半島の油麻地、佐敦、尖沙咀は、日本の新宿、池袋、池袋の繁華街だろうか。世界的な商業の中心地は香港島の上環、中環にある。天后あたりまで来ると、繁華街はさびれている、静かな地域だ。私は、香港島の観光が好きだ。九龍半島は疲れる。

香港の観光は「食べること」

年齢的にも肉は避けて、魚と野菜と麺類とお粥を食べた。20~30HK$あれば食事ができる。朝8時ごろから飲茶など店は繁盛している。ケンタキーフライドチキン、マクドナルドなど外資系の店もたくさんある。香港の人達は本当に食べることが好きだ

美味しいと思う店選びはかならず、お客が多い店を選ぶ。店内で香港の人たちを見ていると、私のように一品だけを選ぶことは絶対にしない。例えば、お粥と一緒に焼きそばのようなものと一緒に食べる。そして、お皿も綺麗に残さず食べる。決して上海で見かけたお客さんが、床にぺ、ぺ、と吐き出すことはしない。かっこよい食べ方ではないが、肘をつき楽しく会話をしながら食事をする。喧嘩でもしてるのではないかと思うほど大きな声。私のように一人の客はいないから、結構私は目たち、みんなが見ているような感じがした。

お店067.jpg
麺類の屋台、2人用長椅子に腰かけて食べていたら、
知らない人が何も言わず隣に来て食べた。日本と違うなーと思った。


「建築材料」

建築工事のための足場工事の足場の材料は竹を使っていた。



「タワーマンション」だらけ

どこに行っても高層マンションが建っている。香港島の東から西端まで行ったが、やはり高層マンション。彼らに言わせると、土地がないからという(私のお客様の話)。確かにそうだ。平地がなく、海際をトラム、MTRが走っている。後方は山。山の斜面を利用して墓がある。

マンションの建設には中国の建設会社が多いと思う。日本企業は見当たらなかった。どんな建物も、竹で足場を組み、岩盤の上に建つので杭がない。自然の力は強いから、いつそのまま倒れるやらと少し心配になる。価格は3000,4000万円以上はする。億単位のものもある。価格は日本とあまり変わらないのでは思った。


高層 019.jpg
建築法規はあるのだろうかと思った。


 高層 016.jpg 高層 012.jpg
墓 008.jpg
正面に見える斜面、太陽もさんさんと照るところにあるのは、墓地です。
墓 009.jpg
こうした斜面なら、日本なら住宅地として造成するだろうと思った。
「トラムが走る」
トラムもバスもをよく利用した。トラムはほとんどが2階。必ず2階に上がり、最前列に座り見学をした。朝、夕方の通勤時は日本の山の手線、同様にすごいラッシュ。100m間隔ぐらいに停留所があるかと思うほど多い。それだけに安心して乗ることができる。バスも停まる箇所は多いが、行先を確認して乗る方が良いだろう。観光には地図は手放せない。
トラム015.jpg
車両間距離は30㎝ぐらいか、怖くて手を出して距離を測ることができなかった。
趣味 017.jpg
高層マンションの間をかなりのスピードで走る。
すれ違う時は本当に怖いぐらいのスピードだ。

続きを読む


nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行